見出し画像

日本発、LA行き

3月3日の発表から早20日が経った。きっともう発つんだろうなと、昨日のYouTubeライブで如恵留さんが発したであろう「ここには居ないよ‼︎」というひとことで悟った。何度見返しても、やっぱり泣いてしまう。

インスタライブで渡米を発表された直後は、その事実を理解することで精一杯だった。ちゃかちゃんが用意してきてくれていた紙を見ながら、一生懸命伝えてくれていることを、頑張って聞こうとしても、右から左へと流れてしまうくらいに、動揺していた。でも、そんな中で、うみくんの言葉は、不思議な力を持っていて、私のなかにすっと入ってきた。彼が紡ぐ言葉に、温度を感じた。びっくりしてしまっているだろう私たちファンに対して、ちゃんと伝えたい、誤解のないよう伝えたいんだ、というあたたかさを感じた。彼のおかげで私は、渡米の事実に向き合うことができたし、3時間後にはケロッと「行くんだったら後悔のないようにね‼︎」なんて思えるようになっていた。うみくんには本当に感謝しても仕切れないなぁ。

発表があってから「渡米前最後」が少しずつ、でも確実に、わたしたちのもとへと届けられた。そして昨日は「渡米前最後の木曜日」だった。最後が近づくたびに、最後を感じるたびに私は、泣いてしまうようになった。如恵留さんを、Travis Japanを知ってから、好きになってから、これまで何度も涙を流すことはあったけれど、声をあげて泣いたのは、3月3日が初めてだった。LAで頑張ってほしい、素敵な出逢いに恵まれてほしい、彼らが掴みたい何かを、しっかり掴んでほしい、そう前向きな気持ちを持っているはずなのに、何で自分はこんなにも泣いてしまうんだろう、と自分の中の矛盾に戸惑いながら過ごしてきた。でもある時、あぁ、私ちゃんと向き合えてるんだな、と思うようになって。彼らが留学することにも、日本での活動を一旦休止することにも、彼らが夢に向かって、また大きく一歩を踏み出したということにも、私はしっかりと向き合えていたんだと思う。泣いてばかりの22日を過ごしてきたけれど、これでよかったんだ、と私は思う。

如恵留さんが、恋人にしたい2位に選ばれたことをきっかけとして、そして多分、つけ始めた頃にはまだ発表前だった渡米のこともあって、左手小指につけ始めたゴールドのピンキーリング。私もつけたくて、通販サイトにあるたくさんのリングの中から、華奢なシルバーリングを選んだ。自分の左手小指は2号だと少し前に測っていたのだけど、3号しかなくて。半分賭けに出たつもりでそのリングにしたんだけど、やっぱり左手小指にはぶかかった。微かな希望で右手小指につけたら、まさかのジャストサイズ。私のピンキーリングは、右手小指に今もついている。でもやっぱり、ずっとつけておくことはできなくて、アルバイト中には外しているのだけど、ピンキーリングをつけ始めてから1週間経たないうちに、ピンキーリングがはまっていない右手小指に違和感を覚えるようになった。人の慣れってすごいなと思いつつ、同時に少し怖いなぁとも思った。如恵留さんが、Travis Japanが日本にいないということに、私はすぐ慣れてしまうのかなと思った。でも、彼らには、1日でも早く向こうでの生活に慣れてほしいなと思っている。

私は以前、ある人の帰りを待てなかった。彼もまた、スキルアップのために、アメリカへと飛び立った。彼が渡米すると知ってからは涙が止まらなかったし、空を見上げれば彼のことを思い、時計を見ては向こうの時間、彼は何をしているかなと考えた。最初の頃は空を見上げるだけで泣いてしまう日もあったし、時計を見てから向こうの時間を割り出すのに時間がかかった。でも、日が経つにつれて、空を見上げて彼を思い出すことは少なくなり、時計を見れば一瞬で向こうの時間が分かるようになった。そうしていつしか、空を見上げても、時計を見ても、彼のことを思い出さなくなってしまった。わたしは彼を待てなかった、だからこそ、Travis Japanが留学することが怖かった。自分に自信がないから。彼らを待つことができると、自信を持っていうことができないから。でも、そんなわたしに、きっと大丈夫だよ、向こうに行ってもきっとたくさん彼らの今を知るツールがあるから、と親友が言ってくれたおかげで、大丈夫かもしれないなと思えたり。それでもやっぱり、絶対、なんて、絶対待ってるよ、なんて言い切れない。だけど、これだけは自信を持って、言い切れることが1つだけある。

如恵留さんを知ってから、Travis Japanを知ってから、今日が1番、彼を、彼らを好きです。

いってらっしゃい。健やかでいてね☺︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?