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人生を仕舞う①
ほんの少しだけ、他人の『死』を感じる仕事をしている
その仕事で最近、いくつか覚えておきたい『死』に出会ったので記録しておく
難病で寝ている時間が多くなり、一人で生活できなくなった70歳台の方
難病になった時に、延命は望まないと家族へ伝えていた
食事も排泄も人の手を介さないとできない
会話、意思表示でき、状況も解っている
食べられるけれど、モリモリ食べるという訳でもない
経管栄養も併用している
家族は頻繁でもなく、疎遠でもなく、イベントに来たり、何もなくとも会いに来たり
とても静かな毎日
春
風邪をひいて体力が落ちた
点滴をする
本人の気力が著しく落ちたようには見えなかったが、快復は芳しく無く、点滴を外すと発熱して、また点滴という繰り返しになる
経管栄養も痰や唾液の誤嚥も出て継続を考える必要が出てきた
本人が寝ている間に家族と医療者が話す
家族は点滴や経管栄養継続の希望はあるが本人の気持ちも理解していて、迷う
本人と家族が話す
「私はもう生きた 店仕舞いしたい」
家族は最後1回の点滴を医師へ願い、それを見届けて全てを外してもらう
それから一週間
いつもの静けさで逝かれた
ここまで、穏やかだけでは無かっただろうと思う
病気が判明した時
一人で排泄できなくなった時
体の不調を訴え辛くなった時
葛藤も苦痛も諦観もあったかもしれない
しかし
最期は自分の意志があったと
私は思いたい
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