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3年目の葛藤、ライフワークへの憧れ

ゴールデンウィークの連休を使って、島根に帰っています。リモートワークと組み合わせて10日間の帰省でした。(ありがたい)
4月から新卒3年目となり、仕事について/生活について色々と考えているタイミングだったので、今回の帰省は意識的に人とたくさん会うことに。
結果的に、「自分が将来島根に帰ったら何をするか・何が求められるか」という問いについて、今まで以上に短期間で解像度が上がった時間になりました。


3年目の葛藤

これは一種のあるあるだと思うけれど、新卒で入った会社で3年目を迎え、少しずつ仕事に慣れを感じてきた。
部署移動がなく、基本的には同じ業務を行っているということも理由にあるかもしれないが、このままもう一年同じことを続けるのは結構しんどいぞ、と思うように。
カルチャーフィットしている会社で、会社のことは好きだしプロダクトも魅力的だと思っているけれど、自分の業務に対する熱量が緩やかに逓減してきたかもしれない・・と考えるようになっていた。

打開策としては、全く違う部署へ行ってみる、同じ部署の中でも違う役割(チームを持つなど)にチャレンジしてみる、などがあると思う。ただ組織も大きくなってきて、自分の希望通りにいくとは限らない(意向は伝えつつ、あと自分のスキルの問題もある)。
こればかりは、どうなるか全く読めないなと思いながら、次の組織編成変更のタイミングを一旦待ってみようという気持ちで今は落ち着いている。

自分で事業をやることへの憧れ

そもそもこのように考えるようになったのは、「都会で会社員として頑張る」という選択肢に対して、「島根に帰って事業をやる」という選択肢がより現実的なものになってきたからでもあると思う。
新卒として東京に出てしばらくは、会社員としてがむしゃらに頑張ってみる、という手段が圧倒的に現実的だったし、島根に帰ったとしても自分で働いていくイメージがまだ持てなかった。

一方で今は、「一つの企業に属して働く」以外の働き方をする同世代が少しずつ増えている感覚があり、自分も将来島根で働く姿を具体的にイメージしやすくなったと思う。ちゃんと島根で稼げる、食っていけることを背中で見せてくれる同世代がいるのは本当に心強い。

自分にとってのライフワーク

元々私の性格として、「仕事に打ち込みたい」という思いがある。裏返せば、「時間を忘れて打ち込める仕事を見つけたい」とも言えるかもしれない。
大学時代ルーツしまねの様々なプロジェクトに関わっているときや、留学中に大学の友人たちとブログを運営していたときなど、「没頭できる」瞬間が日常の中にたくさんあった。一般的にはタスクと思われるようなことも全く苦ではなくて、ただ面白いから・楽しいから、気がつけばPCを開いてプロジェクトに関わる何かをやっているという時間があった。

会社員としての東京での仕事は、私にとってはライスワークの域を出ないんだということにも気づかされた2年間だった。
土日の自分の時間を使ってでも仕事を進めたい、という渇望が生まれることはなくて、むしろ複業的に島根との関わりやプロジェクトに時間を充てていた。
それはそれで燃費のいい、効率的な時間の使い方だと言われればそうかもしれない。メリハリをつけているとも言える。それでも何かずっと物足りなさや、自分の熱量の向け先を探している気がしてならなかった。

ないものねだりな部分もあるかもしれないが、島根の同世代を見ていると「暮らしや生活の延長線上に仕事がある」人が多いように思う。そしてそういう働き方・生き方に私は強く憧れている。
もちろん人によって価値観は様々だし、自分の考えを誰かに押し付けるつもりも、「地元に帰るならこうあるべき」なんて言うつもりも一切ないけれど、私はあえて仕事と生活の境目を曖昧にして生きてみたいと思うのだ。

島根のお気に入りのカフェに掲げてある言葉
「暮しが仕事 仕事が暮し」

今、島根に必要とされていること(そう見えること)

じゃあ島根に帰ってきて何をやるのかと言われると、まだまだ柔らかいアイデアの段階ではあるが「島根の中小企業とのクライアントワークを行う組織」を作ってみたい。
何をやるか、はその時々によって変わると思うが、それよりも大事にしたいのは、若者世代にとって「ここへ行けば何かしら仕事ができる・紹介してもらえる」場所を作ること。

例えば同世代の20代が島根へ帰ってきたいと思ったとき、ツテがないと「島根 中途 求人」でブラウザ検索する、という探し方になってしまう。もしくは行政が運営する移住相談窓口へ行って、仕事を探す。
そうすると「表計算ソフトの入力」や「未経験歓迎」など、なかなか魅力的と思える求人は見つけにくい。自分なりに仕事を頑張ってスキルを身につけたはずなのに、島根では必要とされないのか、と考えてしまう。そうしてUIターンを思い留まる同世代を何人も見てきた。

実際そんなことはなくて、ただ求人が表に出てこないだけだったり、企業が求人という形で言語化できていないだけだったりする。
求職者にとっては、いきなりフルタイム正社員として一つの会社に転職するのはかなりはハードルが高い。移住が伴うなら尚更だ。もし会社の文化や環境が合わなかったら、と考えると、情報の薄い求人票をもとにアクションを起こすのはかなり勇気がいることだと思う。
そこに、私たち若者世代が仲介となるような組織を作って、求職者と中小企業を緩やかに繋げるような役割を果たせないだろうか。求職者は同世代の組織に所属しながら、島根の会社を相手にクライアントワークを行うことで、移住や転職の小さな足がかりを持つことができる。
中小企業にとっては、「ここへ相談すれば、思いを持った若者と仕事ができる」場所にしたい。「人手が足りない仕事を外注する」文化を持つきっかけになり、間接的に人材不足の解消につながっていけばいいなと思う。

つくりたい未来

こう書くとなんだか博愛的なのだが、けっこう真面目に「関わる人みんなが幸せでいてほしい」と思っている。
その思いは島根関連の人に限らず持っているけれど、島根の地で事業をするからには余計に、島根で生まれ育った子や縁あって島根に関わった人に対して強く願っている。
高校の同級生や後輩など、真面目な県民性ゆえか、都会で仕事を頑張りすぎてメンタルに不調をきたしてしまう人が少なくない。彼ら彼女らが、人生のどこかでちょっとしんどくなったとき、「一旦島根に帰るか」と思える選択肢があればいいなと思う。

とはいえ大学生と違って、社会人としては働くことも考えなければならない。
そのときに、駆け込み寺のように「ここへ来たらとりあえず働く場所があるよ」「合う仕事を紹介するよ」と言ってあげられる場所をつくりたい。

島根は教育の分野で注目され、この数年で大きく環境が変わってきた。
次は、その島根の教育を受けた世代の就労・雇用を考える番だ。地域を知り、自分の個性を育んできた子たちの、次なる受け皿として「魅力ある雇用」が必要になっている。
私たち若者世代が、自分たちが働きたいと思える組織をつくり、雇用を少しずつ広げていけたら。地域に眠っている仕事のニーズを表面化させて、より多くの人が島根で働けるようになったら。そのために、自分が帰るときにはこの課題感をもとに何か事業として形にしてみたい。

今はこう考えているけれど、実際島根へ帰ってみたらこの仮説も全然違う可能性は十分にある。それはそのとき。そんな試行錯誤も含めて、全力で仕事ができたら、それに勝る幸せってないよなーと考えている。


長文、読んでいただきありがとうございます。
絶賛キャリアについて考え中の現在なので、ご意見・ご感想いただけるととても嬉しいです。

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@hinako_tsk