「母性」を読んで。

「無償の愛なんてない」と私は思っている。

親が子へ注ぐ愛は無償のように見えるけれど、はたしてそうだろうか。
親だって何かしら報酬を得ているから、子供に愛を注げるのではないだろうか。

心理学をかじっている者として、親子の愛情について少し考えてみた。

1年生の初っぱなに習う話に「学習」というのがある。
ある行動をすれば報酬がもらえる、という流れを繰り返すことによって、その行動が強化されるというものだ。

たとえば、祖父母が孫に何度もプレゼントを買うという行動。
一見、祖父母が自分の頼みを断らないことに味をしめた孫が、執拗にねだることによって起こっているように感じる。
しかし祖父母はなぜ孫の頼みを断らないのだろうか。
それは、プレゼントを買ってあげれば孫が笑顔を見せてくれる、という流れを「学習」しているからだ。
孫の笑顔見たさに、プレゼントを購入する行動が強化されているとも言えるのである。

「愛」とは、親と新生児との間で「笑顔」を強化子として学習されるものではないだろうか。

新生児が笑うとき、それは快感情によるものではないことはよく知られている。
「生理的微笑反射」といって、顔面の神経の反射によるものらしい。

だが多くの親は「自分があやしたから赤ちゃんは嬉しくて笑ってくれた」と勘違いする。
笑顔はすなわち、自身に好意的な感情を抱いていることを意味する。
自分が愛を与えれば、赤ちゃんはそれに応えてくれるはずだ。
そうやって、子供をあやしたり面倒みたりと親の行動が強化される。

自身の笑顔が強化子になっているとはつゆ知らず、赤ちゃんは親の愛を一身に受ける。
親が自分に見せる笑顔、それは赤ちゃんにとっての強化子となる。

つまり、愛情は「自分の愛に応えてくれる」というギブアンドテイクの関係でなければ成立しないものであり、無償の愛などはなから存在しないと思うのだ。
仮に赤ちゃんがずーっと仏頂面で、どれだけあやしても笑顔を見せなかったとしたら、親の子に対する愛は薄れていくだろう。

そう考えると新生児の生理的微笑反射は、赤ちゃんなりの生存戦略ではないだろうか。
愛されなければ生きていけない、愛されるためには自分から愛することが必要だと、約20万年の歴史の中で気づいたのかもしれない。

母性は「母として愛されている」という実感から生まれるもの。
母性の種はすべての母親に備わっているのかもしれないけれど、それに水をやり芽吹かせるのは子供だと思う。

現に私の母は、私を生んだとき私を愛していなかった。
今さっき股から出たばかりの私を産科医に見せられて「コレどうしよう……」と思ったそうだ。
愛するどころか、人間とすら認識されていなかった。
だが今となっては「人生最大の喜び」とまでに私を愛してくれている。
母がなぜ私を愛するようになったのか、私が無意識のうちに見せた笑顔がきっかけになったのか、それはわからない。
今、愛し愛される関係なのだから、その事実だけで十分だと思う。

だが、母はもう祖母からの愛を受けることはできない。

祖母は昨年亡くなった。
随分前から予想されていたことで、母も私も心の準備はできていた。
だが祖母の死によって失うものを考えては、目に涙を浮かべていた。

祖母の死によって失うものは、祖母だけではない。
母の娘性だ。

祖母の家は我が家から徒歩圏内の所にある。車で行けば一瞬だ。
母はよく、祖母からおかずを分けてもらったり、冷凍庫に入りきらなかったアイスを祖母に預けたり、パートのときに子供のお守りを頼んだりしていた。

私の目に映る母はちょっと頼りなく、よく母親に甘えている「娘」だった。
私はそんな母に嫌悪感を抱くことはなく、むしろ抜けきらない娘性が母のアイデンティティだとすら思っていた。

祖母の死は、母の娘性の死を意味する。
私は祖母が亡くなることによって、母の性格が変わるのではないかと危惧していた。

杞憂だった。
最初の数ヶ月こそふとしたときに涙を見せたものの、母は変わらず母だった。

そのとき初めて母の強さを知ったのだ。
母は娘であると同時にやはり「母」なのだと。
母の「母」である部分は変わらないのだと。

私は母のようになれるだろうか。
母が死んだとき、私は変わらぬ愛を自分の子供に注げるだろうか。
生きた母がいる自分の子供を憎みはしないだろうか。

親を失った悲しみを子供が埋められないことはよく知っている。
祖母が亡くなってからというもの、母は祖母の思い出話をしたあとに大きなため息をつく癖がついた。
疲労からくるため息やイライラからくるため息は何度も聞いたことがあったけど、それらとはちょっと違う。
今までは、疲労感やイライラ感情をため息に乗せてすべて吐き出していたので、ため息ついたあとの母は空っぽだった。
祖母の話をしたあとにため息をついても、母は空っぽにならない。
ため息をついたって母親を失った悲しみは消えないからだ。
私は母の悲しみを取り除く方法を知らない。
祖母の思い出話に耳を傾け、ため息は聞かなかったことにするしかない。

卑怯かもしれない。逃げているだけかもしれない。
私が母を励ます方法がもっとあるのかもしれない。
まずは母に愛を返す努力をしてみよう。
そうでなければ、私はきっと産んだ子供を愛せない。

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