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「あの時チャレンジしていたら」という後悔ほど悲しいものはない

息子が専門学校を卒業する際に
当然のことながら「就職活動」という期間がありました。

息子は子どもの頃から「計画を立てて実行していく」タイプでしたので
中学生1年生くらいから
将来の仕事についてはアレコレと考えていました。

夫の実家に親戚が集まると、片っ端から大人をつかまえて
「今、どんな仕事をしていますか?」
「どうしてその仕事を選んだのですか?」
「その仕事をしていて幸せだと感じていますか?」
と質問していました。

高校時代は、専門の教科が選択できる学校を選びました。
「先の就職に役立つような経験を増やす」という観点でアルバイト先も決めていました。

いよいよ専門学校に入学すると、4年後の就職活動に向けて
1年生から、休日の学校行事の役員を引き受け
見学に来校する企業のかたたちと積極的に会話をして名前を売っていきました。

いったい誰の子なんだ….
と、親のわたしも不思議に思うようなしっかりした子どもでした。


そんな彼にも
最後の就職面接の段になって、迷いが生まれました。

第一希望の会社と
第二希望の会社の面接日と時間が重なり
そのあとにも前にも
希望するような会社の面接がありません。

つまり第一希望か第二希望の会社を選んで
一択で全賭けするしかない状態になったのです。

更に、第一希望の会社は
その年、1名しか採用しないことを公表しており
息子の学校の同学年の生徒の一人が、大人の事情で
「ほぼ内定しているらしい」という話でした。

第二希望の会社なら、就職できる率は高いのですが
第一希望の会社と同じ日の同じ時間帯に面接があるので
息子は、どちらの面接に行くのか決めなくてはなりません。


「第一希望の面接に行って落ちたら、オレは就職浪人になってしまう
とはいえ、ここで諦めて第二希望の面接に全力を尽くすのも心残りがある」
暗い顔で相談されました。

「順調に歩を進めて来たのに、最後の最後にコレか!」
と心の中では可哀想に思いましたが
わたしは
「一番好きで、ずっと就職したかった第一希望の会社の面接に行きなさい」
と答えました。

息子は
「オレが1年就職浪人になってもいいの?その後だって就職できるかわかんないのに!」
「万が一、オレが選ばれたら、同級生の内定はどうなるの?」
と言っていましたが
わたしの意見は変わりませんでした。

「人生において、あの時チャレンジしていたら俺の人生はどうなっていただろう?という後悔ほど悲しいものはない。だから第一希望を受けなさい。
定員1名と公表していても、優秀な人材だと判断すれば会社は間口を広げて2名採用するよ。あなたは優秀な人材だから必ず合格するよ」


結果、会社は定員を変更し
息子と内定の同級生の二人を入社としました。
現在も息子は、その会社で働かせていただいております。

机上の空論と自分の想いで
だいじな息子の人生の選択をアドバイスしてしまったわたしは
母親として、採用の通知をこの目で見るまでは
生きた心地もしなかったですね。
毎日ひたすら神様に祈っていました。

今思い返すと、笑ってしまうような出来事なのですが
当事者にとっては重要な選択でした。
今となっては
消えることのない大切なアルバムの1ページになりました。


わたし自身も人生において
第一希望を選択することを軸にしています。
「代用品は要らない」
もちろん、世の中はそれだけでは立ち行かないこともたくさんありますので
あえて無難な道を選ぶこともあります。
それだけに、せめて大きな岐路に立たされた時くらいは
第一希望に全賭けしたいなと思っています。


「何かを選ぶということは、何かを手放すということ」

就職活動の場では
安心という保険を手放した息子でしたが
結果、憧れの仕事は息子の人生に寄り添ってくれました。


今も心から神様に感謝しています。





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