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「斜陽」 のM・Cをめぐる考察 2

>午後の三時頃で、冬の日が、お庭の芝生にやわらかく当っていて、芝生から石段を降りつくしたあたりに小さいお池があり、梅の木がたくさんあって、

>お庭の下には蜜柑畑みかんばたけがひろがり、それから村道があって、その向うは水田で、それからずっと向うに松林があって、その松林の向うに、海が見える。

>海は、こうしてお座敷に坐っていると、ちょうど私のお乳のさきに水平線がさわるくらいの高さに見えた。

写真は花嫁さまに送っていただいたシシリー島での光景です。
なぜ太宰さんの文章に合わせてというと..
ドレスをおつくりした過程のフィッティングで、好きな文学作品のお話を伺っていたある時、
「太宰さんの小説も好き。ヴィヨンの妻は面白かったです」
と笑顔で言われたので。
身頃に太陽を象ったレース柄使いをしたこのドレスを、ヴィヨンと名付けたからです。


>私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。他のひとの赤ちゃんは、どんな事があっても、生みたくないんです。

最後は出産、やはり結婚のことで四章は終わるのですが

>それで、私は、あなたに相談をしているのです。おわかりになりましたら、御返事を下さい。あなたのお気持を、はっきり、お知らせ下さい。

主人公の女性が日本国だとして、
相手の男性のM・Cはどの国のこと?と思いながら読んでみると

>こちらに、いらっしゃいません?
>M・C様

この四章の手紙自体が、外交の交渉ごとのように思えてきますし

>はばむ道徳を、押しのけられませんか?

道徳的で無い交渉というなら、
米国や英国ではなく露国だというような気がしてきます。

>M・C(マイ、チェホフのイニシャルではないんです。私は、作家にこいしているのではございません。マイ、チャイルド)


子どもが何を比喩しているかといえば、国際情勢ということにおいては戦利品でしょうか..って
斜陽のテーマ自体もですが、
結婚とウェディングドレスの仕事をしている人間にはとんでもないような内容になってきてしまいましたが
それとこれとは勿論まったく話は別です。
子どもとは人間の未来のことですから、
文中に出てくる「ゲエテ」のファウストでいうところの、開拓地のことかもしれません。

空間と時間、
戦争と領土、結婚と子供..
「斜陽」はM・Cへの手紙の文末として終わります。

>M・C マイ、コメデアン。
>昭和二十二年二月七日。

昭和22年、1947年は..
元旦に、米英仏ソ4国による分割占領下の独国にて、英米統合占領区域(バイゾーン)が成立
3月に国際通貨基金(IMF)が操業を開始
5月、日本において日本国憲法施行
6月には米国務長官の欧州復興計画、マーシャルプランを発表
9月、米国で国防総省(ペンタゴン)と中央情報局(CIA)が正式に発足
10月に日本占領の英国軍が引揚げを発表
11月は国連総会でパレスチナの分割案が採択された、
ザ、戦後の年です。


>その問題が、何か気まずい事の起る度毎に、私たち夫婦の間に持ち出され>るようになった。もうこれは、だめなんだ、と私は思った。
(いい加減流石によくない内容と思うのですが後半は悪い内容ではないです)

>ドレスの生地を間違って裁断した時みたいに、もうその生地は縫い合せる事も出来ず、全部捨てて、また別の新しい生地の裁断にとりかからなければならぬ。

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