誰かのためにということ
お久しぶりです、ひなしゅしゅ/松崎雛乃です。
今日は久しぶりにnoteをスマホでぽちぽち書こうと思います。
最初に言っておくと本当はロックな文が書きたい気分だったのだけど、書けなかった。
それはさておき。
突然ですが、わたしはひとのためになにかできるような素晴らしい人でも何でもありません。自分が結局一番かわいいし。
そんなわたしはひきこもり支援というものをやっています。ここまで見てくれた人はじゃあ偽善でやってるの?って思うかもしれません。もしかしたらそうかもしれません。でも違うかもしれません。
はっきり言ってわからないのです。
何のためにやるかって大事だと思うけど、それだけが本当に大事でしょうか。
誰かのためになりたいという気持ちだけが清くて美しいものなのでしょうか。
少なくとも今私が一番やりたいことがひきこもり支援なのは間違いありません。
天職を見つけた、という言い方が正しいのかもしれません。
話は変わりますが、わたしははっきり言ってどちらかというと社会不適合者です。まあ不適合者だから引きこもりになったのかもしれないけど。
正直数年前まで社会のなんの役にも立たない人間だと思って生きてきました。
生産性も何もないしミスは多いし、生きてる意味ある?と思ってた時期もあった。
ひきこもり支援は私の生きる意味です。
私の活動で誰かが生きてくれるならこんな嬉しいことはないし、それが私の生きる意味です。
私の活動で誰かが生きていてくれる、私の大切ないつか会いたい人がどんどん増える感覚。
会いたい人が日本全国にどんどん増えていくって素敵じゃない?
あの人に会うまでは…ってわたしは生きてる。
生きる意味なんてわたしもそんなものです。
わたしは私のいつか会いたい人を見つけるために、生きてるし、ひきこもり支援してます。
本腰いれて支援活動始める前に決意表明したかったのです。
きっとこれから先続けていったらいろんなことを言われるでしょう。
でもわたしはひとりじゃないことを忘れません。
みんながいてひなしゅしゅだと思います。
一人の独裁政権ではない、みんなで考えるひなしゅしゅでありたいです。
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