東京リベンジャーズに学ぶ少年事件

東京リベンジャーズ、めちゃおもろですね。26巻まで読みました…が!

鑑別所とななんとかがちらほら見えるので、ちょっと整理してみようかと思います。

1 時系列 

主に関東事変後の時系列は、以下のとおり

①2006年2月22日夜 関東事変

②2006年2月24日 天竺メンバー(灰谷兄弟、斑目、ムーチョ、もっちー)が鑑別所へ。この時点でサウスも鑑別所にいる。

サウス→天竺 ボコボコにする

③2006年7月 ムーチョが鑑別所から出所

④2007年 サウス出所(どこから出所したかは明記なし)

2 登場人物の関東事変時点年齢

灰谷兄弟 1987年? 18歳~19歳

斑目 1987年? 18歳~19歳

ムーチョ 1987年4月28日生まれ、18歳

もっちー 1987年? 18歳~19歳

昭和62年世代ということしかわからん…特に灰谷兄弟が謎ですが、当時全員未成年だった、という前提で話を進めます。

3 少年事件の手続きの流れ

関東事変の逮捕者が未成年ということは、少年事件として扱われたということになります。少年事件の流れをざっと確認すると、

Ⅰ 被疑者段階

逮捕→48時間以内に送検→24時間以内に勾留
この勾留中に被疑者を取り調べたり、裏付け捜査をしたりします。まずは10日、時間が足りなければさらに10日延長。つまり最大20日間勾留されます。

ここまでは成人と同じ。成人であれば勾留後に起訴か不起訴かになります。

Ⅱ 家庭裁判所送致

少年の場合、勾留が終わると全件家庭裁判所に送られます。家裁は、送られてきた少年の起こした事件や家庭環境などを考慮し、鑑別所に送るか、いったん自宅に返すかを判断します。

Ⅲ 鑑別所

鑑別所に送られた少年は、2週間+延長期間(実際はほぼ全件4週間)を過ごすことになります。鑑別所では学力テストや心理テスト、各種課題や技官、調査官(家裁の少年事件の専門職員)との面談があります。鑑別所での生活の終盤(3週目終わりから4週目くらい)に家庭裁判所で審判が開かれ、処分が決められます。

Ⅳ 審判と処分

少年事件には、基本的には重い順に保護処分(少年院送致、保護観察、児童自立支援施設等送致)、不処分(処分は特にしない)があり、審判不開始(審判を開くまでもない)の場合もあります。

それ以外にちょっと特殊なパターンとして、以下のものがあります。

ⅰ 試験観察

聞いたことがある人もいるかもしれませんが、約4週間の鑑別所の生活ではどの処分にするかを審判で決めきれない場合は、いったん家に帰してしばらく様子見しましょうということになります。試験観察中も家庭裁判所による調査は継続し、最終的にはまた審判が開かれて上記の処分のどれかが言い渡されます。

ⅱ 児童相談所長送致

めったにないやつ。18歳未満限定ですが、非行自体は悪質でないが、家庭環境に問題があるため福祉機関に任せましょうという処分です。

ⅲ 検察官送致

保護処分よりも成人と同じ刑事裁判を受けさせるべきと判断された場合には、検察官送致になります。故意の犯罪行為により被害者を死亡させ、犯行時に16歳以上であった場合は、原則検察官送致です。

ちなみに、勾留後鑑別所に送られず自宅に帰った場合でも、家庭裁判所による調査があり、審判が開かれます。

​4 関東事変のあとしまつ

さて、前置きが長くなりましたが、上記の流れを関東事変にあてはめてみましょう。

Ⅰ あてはめ

2006年2月22日 天竺幹部逮捕 罪名は、凶器等準備集合罪、傷害罪、二人の死者について傷害致死または殺人罪、銃刀法違反、道交法違反…あたりでしょうか。

2006年2月24日まで 天竺幹部送検

…ん?! いきなりおかしなことに。天竺幹部は、逮捕からわずか2日しか経っていないはずの2月24日にすでに鑑別所にいるのだ。

もちろん逮捕されたからと言って送検勾留されるとは限らないのですが、こんだけの大事件で関係者多数となると、身柄拘束して取調べしたいはずなんですよね(家に帰すと逃げたり口裏合わせするから)。

となると、考えうるのは『勾留に代わる観護措置』です。

Ⅱ 勾留に代わる観護措置

実は、3のⅠでの説明は厳密ではありません。本来、少年を成人と同じ勾留場所(警察署留置施設)に置いておくのは好ましくありません。悪い大人の影響を受けちゃうからね。また、警察署での勾留が最大20日であるのに対し、勾留に代わる観護措置は10日のみで延長はありません。

よって、建前として、検察官は少年事件の場合は、警察署での勾留ではなく、勾留に代わる観護措置(鑑別所での勾留)をすべしとされているのです。

ですが、勾留に代わる観護措置の件数はとても少なく、実態としては成人と同じ警察署での勾留が断然多数で原則と例外が逆転しています。

何でかというと、10日の勾留期間じゃ捜査全然終わんないし、鑑別所のキャパが足りないから。勾留に代わる観護措置は、中学生とか年少者の場合が多いですね。

Ⅲ 考察

関東事変は大事件で10日で捜査が終わるわけがないし、幹部は18歳前後で年少というわけでもないことからすると、本来勾留に代わる観護措置が検討されるケースではありません。

横浜地検は実はめちゃめちゃ人権意識が高くて、少年法を厳守しているんですかね笑

そうでないとすれば、いったん警察署に留置されたけど、そこで問題を起こして勾留場所が変更されたくらいしか考えられません。留置所で成人とトラブルを起こしたか、かわいいお顔をしているので目をつけられたとかですかね。

これもそんなにケースは多くないはずですが(そもそも少年は独房が多い)、極悪の世代だし頭のイザナは守れなかったしで全員暴れちゃったのかもね……

Ⅳ 処分

ムーチョが鑑別所から出所したシーンがある以外は、天竺幹部の処分は不明です。

ムーチョが少年院ではなく鑑別所から出てきたということは、保護観察とかで済んだんですかね。

たぶんですけど、二人の死者については稀咲(と半間)がやったことになったと思うので、逮捕された天竺幹部たちに殺人罪容疑はかからず、検察官送致は免れたんでしょう。もし検察官送致になってたら、そこから起訴されて裁判して、になるので2006年での出所は難しかったと思います。

検察官送致を免れたとしても、少年院送致になっていたら、事件の重大さから考えて短期処遇勧告は出るはずもないので1年くらい出られないでしょうし、下手すれば2年コースなので2007年のサウスくんお出迎えは厳しかったはず。とすれば、ムーチョ以外のメンバーも保護観察で済んだのでしょう。

天竺幹部の家庭環境がほぼわからんので何とも言えないけど、一度は少年院入ってるらしいのに、今回よく少年院送致にならなかったよね……

5 サウスくんのあとしまつ

ところで、何をやらかしたのかわかりませんが、サウスくんの方が先に鑑別所に入っています。なのに、出所はサウスが後。まあ、これは鑑別所での暴行事件で改めて逮捕勾留されたからでしょう。

天竺幹部への暴行だけで少年院送致になっててもおかしくないと思いますが、それだと2007年の出所は厳しいと思うので、サウスくんも保護観察だったのかと。めっちゃ家庭環境いいのかな。おじいちゃんおばあちゃんに可愛がられているサウスくん、ヴィーヴォ!!