noteはじめました。

はじめてみました。
使い方さっぱりわかんないので、投稿できてるかすら怪しい。

事実をそのまま書いただけなんだけど、
なんか題名、冷やし中華はじめました
みたいになっちゃった。

夏だしいいか、
なんてよく分からない納得の仕方をして…
以下、本当に大したことのない
ちょっとした経緯。

良い文章を読んで、お!と思う時には
私も書きたい、という気持ちがセットで
ぐつぐつと湧いてくるのに、

どうにもそっちの才能は、
神様全く入れてくれなかったみたいで、
羨望の裏に隠れた嫉妬で、ギリギリと唇を噛み締めることが結構ある

昔、「人には書く側と、読む側がいるよ」
みたいな本を読んだことがあって
不本意なんだけど、
私は完全に読む側に陣取っているんだと思う。


読むの好きなんだから、書かせてくれよぉ
とめちゃくちゃに思ってみては、
たまにヘタクソなりにこうして筆取ってみるんだけど、読み返すとどうにも気に入らなくて。


この気に入らなさが、読むのが好きだからこそ
より強く持っている感情だと思うと、

毎回そこで何とも言えない気持ちになって、
「やっぱ書くのは無理なんだなー」という諦めをもって、自己完結を繰り返している。



あの物語の主人公も、なんかこんな感じで
「ウワーーー書けねぇ!!」って悩んで、
悩んで、そうして諦めて、最終的には与えられた側を享受していた気がする。

「物語なんだから、希望をもたせろ!」
とかちょっとだけ思っちゃった…

こういう、強めにいえばある種の劣等感のような感情が押し寄せてくる機会はよくあって、
Twitterを何気なく眺めている時なんて、桁違いな頻度で起こる。

(今はXだよ〜とかそういうのは知りません。
アプデしてない私の携帯にはまだ青い鳥が鎮座している。)

そんな優秀なTwitterくん、
「ほれほれ、こういうのが好きなんだろ?」
とばかりに、良い感じの文章書く人を
拾い集めてオススメしてくるために、

いや、好きだけども!!!!
って嫉妬でひぃひぃ狂いそうになりながら、私は日々タイムラインを遡ることになっている。



そんな中で、これは最近気がついたこと。

文章がいいな〜って思う人のTwitterには、noteのリンクが貼られている!
これもうほんと、ほぼ百発百中に近い。

そりゃ、140字内で才能見えるくらい文章上手なんだったら、長文も書くわね!!

なんてよく考えれば当たり前のようでも、
読む側からしたらもう、
好きな人の長文が読めるのたまらないし、
私凄く嬉しくて。


まんまとアカウント登録しちゃったわけです。


それで、その嬉しさで上がった気分のまま、
ちょっと書いてみようかな、なんて気まぐれに思っちゃったりもして。

ほんと気まぐれなんで、続くかわかんないけど
アカウントありますよってことで。

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