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孤高がもたらすもの

お手紙をありがとうございます。

時間がかかりましたが、わたしからもお返事を書かせていただきました。

日菜の書簡

わたしも、かつて人が嫌いでした。高校時代は、学校へ行っても誰とも話さず、挨拶もせず、ひとり席でグリム童話や源氏物語を読んでいました。

たしかに、あの頃のわたしは、今より孤高に、孤独に耐え、深く考えていたと思います。
深いところを考え込んでいる、その時間は、しんどい時間かと思いますが、そういう一面もありつつ、
わたしには、尊い、価値のある時間だと思えます。

『つながりっぱなしの日常を生きる』という、現代のティーンの直面する問題を書いた本を読みました。

わたしがティーンの頃は、1990年代で、インターネットも、SNSもありませんでした。高校でわたしは孤独で、しんどい時間でしたが、ひとり本を読んでいる孤高な時間は、「つながりっぱなし」の、現在のわたしからすると、尊いと思えるのです。

ぜひ、ひとり思索する時間も、これからも大切にしてほしいと思います。

花散日菜のコメントより抜粋

こんなコメントをして、お返事のお手紙をいただきました。嬉しいです。ありがとうございます。(わたしもコメント欄ではなく、記事にすればよかったですね。せっかくの、往復書簡なのだから・・・後で気づきました。失礼いたしました。)

孤独・孤高・孤立

ひとりってなんだろう。孤独ってことかな。孤独ってなんだろう。
孤独の定義を調べてみました。

孤独
[名・形動]
1 仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「孤独な生活」「天涯孤独」
(デジタル大辞泉)

コトバンク

また、わたしは、孤高という言葉も使いました。

孤高
[名・形動]俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま。「孤高を持じする」「孤高な(の)人」(デジタル大辞泉)

〘名〙 (形動) ひとり他にぬきんでて高いこと。孤立しつつ、自らの志を守ること。また、そのさま。(精選版 日本国語大辞典)

コトバンク

孤立
① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
(精選版 日本国語大辞典)

コトバンク

『火の鳥・未来編』マサト


手塚治虫『火の鳥』というマンガをご存知でしょうか。わたしのバイブルのひとつですが、この『火の鳥』に未来編という話があります。

『火の鳥・未来編』
この世界で、人類・すべての生物が核戦争により絶滅してしまいました。
そんな状況で、火の鳥によって永遠の命を与えられた主人公・マサトが、たった独り、何千年・何万年も生き続けなければならない苦悩を描いた作品です。

kindle版(下の方)は試し読みができるので良かったら試し読みしてみてください。

マサトは、孤独なのか、孤高なのか、孤立しているのか?

  • 孤独・・・「仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。」

まさに、マサトがこんな感じでした。マサトは孤独そのものです。

  • 孤高・・・「ひとり他にぬきんでて高いこと。孤立しつつ、自らの志を守ること。また、そのさま。」

マサトは自らの意志で孤独になったわけではないので、孤高とは違います。孤高は自ら選択することであるし、他者がいてはじめて成り立つ概念だと思いました。

  • 孤立・・・「他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。」

孤高もそうですが、孤立も他者がいてはじめて成り立つ概念のような気がします。孤立と孤高の違いは、孤立は本人の意志ではなく仕方がなくその状態になる、孤高は自ら選んでそうする、という点かな。

自分以外に他者がまったくいない状態であるマサトは、「孤独」だったんですね。

孤高の意味

孤高なひとというのは、そうしているだけで、美しいものだとわたしは思います。そのミステリアスな様子をみて憧れるひとも中にはいるでしょう。

私は深くまで降りて、それはどこまでもひとりで、何のために学んだり考えたり、何の役に立てるのだろう。

ひとりの時間の意味

あなたは、お手紙にこう書いてくださいました。

そうですね、なんのために学んだり考えたり、何の役に立てるんでしょう。

もし、マサトの立場だったら、学んだり考えたりすることは、何かの役に立つのだろうか?マサトは、ひとりで学んだり考えたりしても、伝える相手がいません。その絶望たるや、想像するだけでこわいです。

わたしは高校時代、本と対話していましたが、世界にたった独りだったら、本と対話することもできたかどうか、自信がありません。
わたしが高校時代、孤立していたにしても、マサトのような孤独ではなかったです。
わたしは、ひとり本と対話しつつも、それを他者に見せつけることで自己を保っていたと思います。
他者の目線があって、はじめて孤立・孤高といえるのかなと思います。

なので、以下のあなたの指摘は非常に重要だとわたしは感じました。

ただその先にひとつだけ、より大切なアクションがあると、今の私は思っています。私がひとり得られたもののなかから、誰かが必要としている時に、必要なそれを、そっと差し出せることです。

ひとりの時間の意味

わたしは、これからは、ひとりの時間を大切にしつつも、
たった独りで孤高なのではない、他者あってこその孤高なのだ、という自覚をもち、この世界にたった独りではないことへの感謝をしていきたいとわたしは思います。

その感謝のしるしに、わたしは自分の得られたものを、他の人が必要なときに、そっと差し出せたらいいな、と思いました。
それが孤高がもたらすもの、孤高の意味なのかな。

なんだかうまくまとまりませんでしたが、これにてお返事とさせていただきます。

いろいろ考えるきっかけをくださるお手紙を、ほんとうにありがとうございました。


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