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18歳、現実逃避から始まったワーキングホリデー


 私が、ワーキングホリデーでオーストラリアにある、『ゴールドコースト』に行こうと決めたのは、ただ単純に 夏と海が好きとゆうそんな簡単な理由でここに決めました。


当時18歳の時に、渋谷にある大手アパレルブランドに入社してから半年が経つ頃。。

想像していた華やかで明るくキラキラした世界とはかけ離れていて、お客さんを下に見て笑っているような上司で溢れていた。そんなダークな世界についていけず、、

当時はとても悩んいました。


『この世界から抜け出したい。。』

『自分の人生もっとハッピーにしたい。。』

『このままここで年を重ねたくない。。』

『なんでこんなところにいるんだろう。。』

いろんな不満が自分を追い込み、悩まされました。


そんな時に、ふと耳にしたのが『ワーキングホリデー』でした。



「 海外で学校に通って、ローカルで働けて、その上 海外で生活ができる!? 」そんなことが世の中で可能なことに当時はとても驚きました。

留学とゆうものは元々知っていましたが、とてもお金がかかるもので、もちろんアルバイトなんてできないし、長く滞在すればするほど学費と生活費が加算でどんどんお金がかかってしまう。。そんなイメージがあったので海外に長期滞在なんて不可能だと思っていました。

しかし、それが覆された時 私は居ても立ってもいられず、すぐに昼職を辞め、一か月後に行けるオーストラリア行きのチケットを手にしていました。

初めは家族に否定されたりもしましたが、一度決めたらなかなか諦めがつかないタイプなので、両親も渋々了承してくれたのです。

なんの心の準備もせず、勢いに身を任せオーストラリアに旅立ちました。

もちろん、家族や友達と空港でお別れする瞬間は、思っていたよりもずっと寂しくて、辛くて、思いっきり泣きましたね。(笑)



 そして、19歳になった私は新たなスタートを切り開きました。

初めの頃は、目に入るもの何もかもが新鮮でキラキラしていて、これからどんなことが起きるんだろう~と、ワクワクしていました。

しかし、二か月くらいが経つころ、学校を卒業し職探しに励みだしたころでした。

英語も対して話せない若者の外国人を雇ってくれる職場なんて、そう簡単には見つからず、、仕事探しに大分苦戦していました。。

リアルに2,30件くらいお店を回りましたが一件も連絡が返ってくることはありませんでした。



一か月ほど、毎日仕事探しに没頭し、その中でも最低限にかかる生活費や家賃にお金もとられ、所持金もつきそうになってきていました。。。

焦りと不安でメンタルも限界になりかけていた時、夜中に病んでる私を外に連れだしてくれた友達とビーチ沿いでたそがれていると、、

そこを通りかかった友達の知り合いが、私の悩みをサラッと彼に話すと、『僕は仕事を寝坊しすぎてにクビなっちゃったけど、良い職場だったから紹介するよ!』と、フランクな感じでそう答えてくれました。

内心、、「 どんだけ寝坊したのよ。。」と、思ってしまいましたが、海外には色んな人がいるなぁと、面白さと同時に焦りや不安が自然と落ち着きました。

彼が紹介してくれた職場はローカルのカーウォッシュ(手洗い洗車)でした。



 早速、次の日に彼が迎えに来てくれてその職場へ向かいアポイントメントをとりにいきました。

『ボス!』 とゆわれて怖い顔をして現れたのが、オーストラリア人の体の大~きな女性でした。

「わぁぁ。。すごい迫力だ。。」と思いながらヒヤヒヤしていました。

しかし、その圧に負けてたんるかぁぁぁ!!と、いわんばかりにこれまでの辛かった職探しの道のりを思い出し、私は精一杯力を振り絞りました!!

カタコトの英語とジェスチャーで、伝えたい言葉を何度もリピートし最後に、、とりあえず、

「 プリーズ!! 」を連呼して立ち去りました...(苦笑)

こんな無謀で説得力もない、ただの勢いでしかない私のアプローチに対しボスは、

『はいはい、採用だったら今日中に連絡するわね』

と軽い感じで返されました。(笑)



『うわぁぁぁぁ。。大丈夫かよぉぉぉぉ。。。』


と不安の嵐に駆られテンションガタ落ちのまま家へ帰り、シェアメイトにその出来事を話しながら夜ご飯を食べていると。。。



遂に、

携帯が鳴ったのです。。!!



勢いよく電話にでると、お待ちかねのあの怖い顔をしていたボスの声でした。

『 明日、朝の八時にお店に来なさい! 待ってるわよ。 』と言って電話を切りました。


え、、


よっしゃ!!よっしゃ!!

おっしゃーーーーー!!!


もう、嬉しくて嬉しくて、、嬉しくて、たまらない気持ちで、シェアメイトとハグをし一緒に飛び跳ねて喜びました。

あの頃の喜びは、、一生忘れられないです。




言葉が通じること、仕事ができること、ただ平凡に生活ができること、辛いときに傍にいてくれる家族や友達がいること。。

日本では、当たり前でなにも違和感を抱いていなかった出来事が、そこでは当たり前ではなく、すごく難しくて心細くて、大変だとゆうことを身に染みて感じました。

辛くて眠れない夜、一人ベットの中で泣いたことも何度かありました。それでも、今ではその時の経験すべてが自分の糧になります。自信になります。

だから、あの頃の怖かった気持ちも、今となればあの歳でそのことを経験できたことに、親へ感謝の気持ちしかないです。行ってよかったと心からそう思えます。

今回は海外での職探しの大変さについてお話ししましたが、それ以外にもたくさんの災難とぶつかりました。

渋谷でアパレルの仕事していた時には想像もできない、、想像を遥かに超えた波乱万丈な一年でした。

それはまた、

次回お話しさせて頂きたいとおもいます😊




久しぶりに当時のことを振り替えりながら、この記事を書いていて

とても懐かしさとワクワクした気持ちで書かせて頂きました!😊


最後まで読んで頂きありがとうございました。🌈

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