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私の"就活"とはなんだったのか

0.はじめに

おはようございます。くにみち(@ku2m1)です。先日、第一志望の企業から内々定を貰って"就活"を終えたので、記念に文章を書いておきます。

就活と言っても、多くの人がしているようなそれではないので、参考にはならないと思います。3章以降はただの自分語りとお気持ちです。

1.志望した業界・企業・職種

建設業の中のゼネコン、ゼネコンの中でも施工管理という職種のみを志望し、スーパーゼネコンと呼ばれる大手のうちの1社に内々定を貰いました。

ゼネコンというのは日本語で言うと総合工事業社で、土木・建築工事の元請けをする会社です。土木・建築工事には多数の専門工事業社、ならびにそこで働いている職人の力が必要になります。簡単に言うとそれをまとめる役割です。と言っても大手ゼネコンは設計もしたり、研究もしたり、宅地開発もしてたりもします。

施工管理というのは工事現場で工程や安全、品質、(人件費や材料費といった)コストなどの管理を行う職業です。現場に出るので体力が必要と言われます。昔と比べたら労働環境は改善しているようですが、完全週休2日の達成などはまだしばらく先でしょう。

2."就活"のスケジュール

昨年(2020年)6月末にインターンについて検討し始め、応募し、9月初めに2社のインターンに参加。その後10月と11月に各社もう一度ずつインターンに参加しました。この時点で、自分の中での志望はなんとなく片方に決まっていました。

12月末に好印象だった方の会社のリクルーターから連絡があり、対面してお話を伺うことになり、そこで推薦という形で(勝手に)エントリーされました。

そして今年(2021年)1月前半中にエントリーシートや適正検査、大学成績などを揃えて、1月後半にオンラインですが面接を受け、その日中に合格通知を貰いました。

3.世に言う就活とはなにか

ここから話題にしたいのは、私のやってきた"就活"と、私の想像するいわゆる就活の大きな違いについてであり、まず、これを明示します。それは、複数の業界・会社を志望するか否かです。実際、多くの人は複数の企業にエントリーするのではないでしょうか。

なぜ私がほぼ唯一の企業にしか目を向けなかったか?について考える前に、逆に、なぜ複数の企業を志望する人が多いのか?について考えます。

結論からいきましょう。その原因は以下の2つだと思います。

(1)企業の志望倍率が高く確実性が低いから。

(2)複数の業界・企業を比較しないと不安だから。

(1)について

そもそも、就活の実態はかなり個人差の激しいものだと思っていて、おそらく多くの人の共通理解としての就活は、文系の学生がするそれではないかと思います。何十社もエントリーして、普通に書類選考で落とされつつも、それを通り、さらに2〜3度の集団面接や個別面接やらを突破した1社に内定を貰う、みたいな。面接では自分をモノに例えたり動物に例えたりのクイズがある、みたいな。理系の学生が(もちろん文系が参加できるような職種は置いといて)己の専門分野に関連する企業を志望したなら、それほど熾烈な争いをしないのではないかと思います。なんなら、研究室のコネで、みたいなパターンもよく聞きます。

つまり、就活で「複数の業界・企業を志望する」一つの理由は、専門分野で殴る必要のない企業が多数存在し、そういった企業は必然的に志望倍率が高くなるからだと思います。

(2)について

就職は、特に日本においては高校や大学を選ぶのとは比べ物にならないほどの重要な意味があると思われている節がある気がします。これからの時代がどうなのかは知りませんが、終身雇用が普通の日系企業では、多数の人々は一度入社すればその社で40年程度勤め上げることになるでしょう。違う業界になれば全く異なる生活が、人生が待っている。多くの時間を会社で過ごすことになるため、どの企業が合っているかも重要だ。そう考える多くの人にとって、就活とは人生の最善の道を探す重要な意味を持つでしょう。

つまり、就活で「複数の業界・企業を志望する」もう一つの理由は、人生の大半を決める選択を最後に納得を持って行いたいからだと思います。

4.私に就活は必要なかった

私がほぼ唯一(インターンは2社に応募したので"ほぼ")の企業しか見なかったのは、先述の(1)の理由も(2)の理由も持ち合わせなかったためです。

人生の大半を決める選択を最後に納得を持って行いたい、のは当然だと思いますが、本当にその会社で上手くやっていけるかどうかって、実際入社してみないと分からないと思うんですよね。つまり重要なのは、正しい選択をすることではなくて、納得をもって選択することにあるんだと思います。就活はそのための儀式に過ぎないわけです。これだけの期間、これだけ行動し、これだけ頭を悩ませ、その末の決断であるならば最善であるに違いないという暗示。

私にはこれが必要ありませんでした。それが暗示に過ぎないと分かっているなら、他の方法でも構いませんよね。私の将来ごときのために頭を使うことが無駄なコストであり、それを避けて得た選択こそが"最善"であるというのが私の信仰です。だから私は「複数の業界・企業を比較しないと不安」ということはありませんでした。

私は私の将来ごときに頭を使いたくないので、当然、志望倍率が高い企業や職種は見ません。専門分野で殴れて、かつ、人手不足なところ。それが施工管理でした。特に、志望した企業は、私の所属する研究室とある程度関わりがあるので、採用してもらえる公算が極めて高いと踏みました。故に私は「企業の志望倍率が高く確実性が低い」ということもありませんでした。

私には就活は必要ありませんでした。

5."就活"とはなんだったのか

いわゆる就活をせずに終わらせるためには、前提として"恵まれた環境"が必要になりますよね。まず(拙くとも)専門分野があって、人手が足りない職種があって、研究室との関係もある、みたいな。これは、私が高校時代から連綿と作ってきた流れの結果、ある種の必然でもあると思っています。

大学や学部は、勉強のコスパが良く、さらに聞こえが悪くないレベルを選びました。東大は進路振り分けがあるので大変ですよね、レベルを多少落とそうが京大はそういうコスパの意味で東大を上回る。建築を選んだのは工学部の中でも志望倍率が高めだからというのも本音です。正直、研究室もそういう面があります。そこまで志望者が多いわけでもなく、不人気というわけでもない、さらに研究も就職先も悪くなさそうだ、そういう考えもありつつ、ここまでやってきました。

内々定を貰ったところもそうですよね。いくら入りやすいと言っても、一流企業の、最も出世しやすいとされる職種なんですよね。コスパ、いいでしょう。

私に才能があるとすれば、恐らくこういったバランス感覚であり、そのバランス感覚への信仰心です。そして、これが才能でないとしたら、私はいずれ大きな挫折を経験するに違いない。

私の"就活"は、そういう盛大な賭けです。なんなら就職後、完全に失敗して欲しい。当事者感を私の人生に植え付けてみて欲しい。全額「丁」に賭けつつ、心中では「半」を願う。どう転んでもこの博打は最高に楽しくなります。

将来の私に問います。ちゃんと「丁」が出ましたか?それとも「半」が出て己がただ幸運だっただけの無能だと思い知りましたか?

6.おわりに

これで内々定取り消されたら一番面白いですよね。

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