色々ある

15年来の付き合いになる親友の葬式に行ってきた。

訃報は突然だった。葬式の3日前に小学生の時の友達から彼が亡くなったと伝えられた。理由は書かれておらず通夜と告別式の日程と会場だけが書かれていた。

訳が分からなかった。緊張で頭が真っ白になる事はあっても書いてある言葉が飲み込めずに思考が停止したのは初めての経験だった。ましてや自分達はまだ20代前半、身近な死に触れるのは高校生の時に大往生した祖母以来だった。悲哀の感情は当然のように襲ってこない。上手くイメージ出来ていないからだろう。

少し彼との思い出を書く。亡くなった彼とは小学1年の頃からの友達だった。家も歩いて10分圏内にあり、本当によく遊んだ。彼はサッカーをやっていたので公園でのサッカーから始まり私が習っていたバスケをやったり、はたまたお互い素人であるテニスだったり、とにかく小学生らしく動き回って笑いあった。中には独自性の強い追いかけっこの様な遊びも作り、小学生の卒業アルバム、そのクラスページの私の特技欄にはその独自のゲームの名前を書いた。彼と私だけが分かるそのネタで当時一緒に笑っていた。そういう唯一の理解、小さな秘密がなんだかとても心地よかった。

中学生になるとお互い部活は別々だった事からあまり遊ばない期間が2年ほど続いた。でもそれは特に仲が悪くなったとかそういうことではなかった。中学生になるとお互い同じ部活仲間と過ごす時間が増えるからという平凡な理由だ。それに彼とは待ち合わせをしていた訳では無いのにお互いなんとなく家を出る時間が合って毎朝一緒に登校した。おはようから始まり、漫画の話やお笑いの話もしたり、私たちの関係性は常に変わることは無かった。そんな心地の良い日常の中で中学時代、彼との一番の思い出を語るとなると大雪の日を思い出す。その日は稀に見る大雪で、雪が非常に積もっていた。彼から電話があり、今から仲のいい7人ほどで公園で遊ぼうとの事だった。両親からはこんな日に外に出るなと怒られたが、私にしては珍しくそんな両親の言いつけを破り遊びに行った。公園では無差別な雪合戦から始まりかまくらを作ったり雪だるまを作ったりとベタな遊びをした。未だにあの日を思い出すだけで笑いそうになる。それ以外にも中学時代の思い出の至る所に彼がいた。

高校生になると高校はお互い別々だった。でも私の高校は彼の高校と1駅違いの場所にあった為、必然的にまた毎朝、今度は駅の改札前で待ち合わせて電車に乗りお互いの学校へ向かった。なんだかんだその待ち合わせも3年間最後まで続いた。中学時代とは打って変わって彼も私も部活にはほとんど熱を入れていなかった事もあり2人で遊ぶことが増えた。毎週末は勿論、長期休みに入れば連日遊びに私の家に来ていたし私も暇だったので丁度良かった。そんな暇人が2人で何をしてたかと言うとPS3のスポーツゲームをやりながらくだらないことを永遠と話していたように思う。特にウイイレでW杯を再現した大会を作って1番難易度の高いモードでひたすら決勝を目指して戦ったのはよく覚えている。2人だけのW杯、2人だけの日本シリーズ、2人だけのウィンブルドン、等々ほとんどのスポーツゲームを堪能していた。たまに趣向を変えて映画を見に行ったり、1000円ガチャ巡りなんかもした。それにも飽きるとGEOで格安で売っていた聞いたこともないようなタイトルのゲームを文句を言いながらもクリアして馬鹿みたいに喜んだりもした。散々文句を言っていたゲームなのにクリアすると妙な達成感と充実感があったし、このゲームをクリアした人はきっと世界でも数少ないだろうと2人で話し、小さな世界観で優越感に浸った。こうしてくだらないことで埋め尽くされた彼との高校時代も終わった。

高校卒業後はお互い別々の大学に進学した。そしてこれを境に彼とはあまり会わなくなった。理由は単純にお互いの学生生活で精一杯だったのもある。連絡こそ数ヶ月に1度取り合っていたがその程度にまでなりを潜めた。最後に直接会ったのも、大学4年のお互い就活中だった時に偶然だったし会話も軽い近況報告で終わった。

そしてもう二度と会うことはなかった。

と、まぁ彼との思い出を反芻していたが葬式の日は否応なくやってきた。重い足取りで式場に行くと同年代の多くの人間が参列していた。小中の知り合いも多く、私が現れると一斉に視線を向けられた気がした。会場に着いた頃には半数以上の人間が彼との別れを済ませていたようで既に会場の中よりも外で知り合い同士で会話してる人の方が多かった。中に入り、香典を渡し終えると、すぐ側に彼の現在に至るまでの思い出の品が沢山目に入った。その中に彼の家に遊びに行った時に机の上に置いてあった寄せ書きのサッカーボールが目に入った。私はそれを見た時に初めて「ああ、受け入れなければいけないんだな」と思った。いつ亡くなったのかもその理由も分からずにこの場所に来たが、初めて彼と今目の前にある現実を繋ぐ物が現れたことにより想像力の足りていなかった自分が現実に追いついた。その瞬間、胃に痛みが走り、顔をあげられなくなり視界が更に狭まったのを感じた。すぐにでも会場を後にしたい、そんな思いが湧いたが、今更引き返すことも出来ず、流されるままに彼の棺と向き合った。その後は早かった。マナー通りの別れを済ましお土産の品を貰い、誰とも話すことなくすぐに帰った。会場を後にする際、何人かの友達に声を掛けられたが、笑顔を作るのも難しく素っ気ない対応になった。そうなったのにも理由があった。これは彼の葬式だというのにこの中の何人が彼と本当の意味で親しかったのだろう?

昔から引っかかっていたことがある。それは例えばミュージシャンが亡くなった時にそのミュージシャンの楽曲がランキング一位に躍り出る現象がある。そうしてその時にはこぞってシングル曲を数曲聴いていただけの者がこれまでの全曲をこよなく愛していたかのような勢いで寄り添おうとする。これに引っかかっていた。別にこれはやっている者が悪いとかそういう話ではない。彼らもきっと悪気はなく、自分にとっての弔い方をしているのだと思う。だが、傍から見ていると生前は見向きもしなかったのに死によってそのミュージシャンのストーリーが完成したかのように、その一連の流れに浮かれ騒いでいるように見える。それがとても不快だったし、胸に引っかかっていた。

彼の葬式でもそうだった。葬式会場を囲んで会話をしている旧友はまるでどれ程彼との付き合いが長かったかを競い合っているように見えたし、そんな旧友と会話をするのも本当に嫌だった。家に帰ってからも辛い顔を見せたくなく、素っ気ない態度をとっていたら母にも兄にも薄情だと言われた。それがとても悲しかった。どうしてそんな言葉を言われなければいけないのだろう?とも思った。起伏を激しくしたり食欲不振に陥ったり体調を崩せばそれが薄情では無いことになるのか?違うだろ。でも世の中はそういうわかりやすい表情を見せる者が美味しいのだ。じゃあどうすれば私の中で彼がどれほど大きな存在だったかを伝えることが出来ただろうか?それは今なお分からない。

でも、多分無いのだ。

だから私は、あの誰にも伝わらない卒業アルバムの特技欄を、2人でやったクソゲーを、2人だけのスポーツ大会を、漫画談義を、登下校を

私だけは覚えておきたい。忘れないでいたい。彼が亡くなってからあの時の過去の自分を覚えていてくれる人が居なくなってしまったことに寂しさを感じたけれど、誰も覚えていなくても、私だけは覚えていようと、そう思った。

このnoteはその為の証だ。2人だけの思い出を、ネットの隅っこに書き記した。





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