mori

先日、山に登りました。

紅葉が見たかったのです。


思い立って、電車に乗り、ゆらゆら揺られ、都内の山へ行きました。
昼過ぎでした。

紅葉に人は恋焦がれるもので、その日もたくさん人がおりました。駅を降りてからほぼずっと。山登り上級者の装いの方から、厚底の軽装ギャルから。ほとんどが下山でした。

すれ違う人たちの疲れた顔々が右に流れていく。

僕はひたすらに左側の草花や朽ちた樹木、立派に伸びた根を見ながら坂を上っていきました。

いつからかヒンヤリと、肌に当たる空気が色を変えていました。
山の領域、お邪魔しているんだという空気です。

登山ルートには補装された王道コースとTHE山道コースがあり、
僕は紅葉を見るという目的のほかに、山を感じるという目的があったので、
より山を感じられる山道コースを迷わず進みました。

誰もいない、ひとりきりのコースでした。

滝へ向かうコースとの立て看板、ゴツゴツとした荒々しい地面を黄色い葉っぱが覆うコースでした。

随分と王道コースから距離を置いたのでしょう。聞こえるのは鳥と森の声のみ。あとは黄葉を踏みしめる自分の足音。

道に生活する植物たちの様子もさっきと多少異なり、なんだか艶やかを増している様子を感じました。とてもとても、とても美しかった。生命力の光を葉の輝きに感じました。


ドイツ語に
「 WALDEINSAMKEIT 」
という言葉があるそうです。
「森の中で一人、自然と交流するときのゆったりとした孤独感」


最近、孤独を感じます。
嫌な孤独も、もちろん、好きな孤独も、です。

僕らは当たり前にひとりで、誰かと出会って一緒にいたって、自分が持てる心の個数はひとつなのです。

だから何だというわけではないですが、そんなことをグルグルと考える時間が増えました。

そして森の中で、山の、誰もいない滝への細い、細い美しい山道で、
「WALDEINSAMKEIT」が僕の中に溢れたわけです。


「Ora Orade Shitori egumo おらおらでしとりえぐも」

宮沢賢治の詩の中に出てくる、妹のトシが賢治にいう言葉です。

すごく切ない言葉だと思ってます。
トシの想いにしても、これを書いた賢治の想いにしても。
涙が出そうなんて陳腐な言葉じゃ失礼な、切なさを感じます。


そんなことを険しさを増していく山道で、ポツンと思い出したのです。

少し前から、というか超序盤から薄々気づいていたのですが、
しっかりと下っていました。山を。
山6分目くらいから山頂を目指して、下っていました。

気づくころには滝の音がするところへ。
なんと滝行ができるところとのことで(その日はやってなかった)小屋や準備する場所、「ここからは入れませんよ」の鉄扉がありました。
そして、落ちたての水が流れる水路。

つまりは滝は見ることができませんでした。

しかし、澄んだ水と艶やかな石たちと、先ほどから包んでくれている木々があります。それだけで十分でした。

風が吹いていました。木々を揺らしていました。
木々を揺らし、色づいた木の葉を宙に舞わせていました。

風。

あなたに吹かれて僕も舞ってしまえたら。


その後、確実に入ってはいけない雰囲気の廃神社に行ってしまったことや、全く知らない村に出てしまったこと、
和菓子屋さんに感動した話は、またいつか思い出したころにしてみようと思います。


健やかに健やかに、あなたが幸せでありますように。


またね

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