結婚しなさいよというおばあちゃん
実家に帰りました。3年振りでした。
もともと廃れていた地元は、最寄り駅が無人になり、シャッター商店街に拍車がかかっていました。
1泊2日の短い帰省です。
元は、母の誕生日を忘れていた僕への母からの悲しみラインに
「全然帰ってこないから、こっちから東京に行こうかと思ってるよ」
と書いてあって、3年は流石に帰らなすぎると反省したことだった。
しかも、夏休み前ということかバスも安い。
来月から稽古が始まってしまう、その後の予定はわからないからいつ帰られるかわからない、という瞬発力からの帰省。
長い帰路を経て東京から帰ったが、岩手もまた同じ暑さだった。
日差しは強く、目に見える緑が気持ちを涼しくさせるくらいで、それでも逆にそびえたつビルのような遮蔽物はめったに存在しないから、影なんてなかった。
シャッター商店街を抜けた辺りに僕の家はある。
小さな電気屋さん。
そこにフィットするかのような小さな背中の母と、
小柄ながら大きい背中をしている作業服の父がいた。
3年とはいってもあまり変わらない姿に安心する。
会話もあまり時間が経ったような空気はなかった。
両親の口数の割合としては母8:父2。
父はあまりしゃべらない。
堅物とまではいかないが、体に大事なことを内包しているような人だ。
母はその分喋る。
フワフワとした、天然っぽさを持った森みたいな人だ。
小学校が統合する話。
弟夫婦に車をプレゼントした話。
おばあちゃんがもうボケている話。多分、これで最後かもしれないという話。
当たり前だけど、ちゃんと地元にも時間が流れていた。
両親があまり変わっていなかっただけに少し動揺した。
散歩やお土産なんかを買っているうちにあっという間に帰る頃になった。
晩御飯を食べた後、母に少し遠い新幹線の駅まで車で送ってもらう。
その中での会話がまだ後を引いているのだが、
母から父の話を聞いた。
「あの人は、働き者で、人の3倍働く」とか
「あの人と出会う前に死んでしまった私の父は働き者が好きだった。」とか
母のお見合いの話とか。
今まであまり聞いたことのない話を聞いた。
自分ごとになるが、最近“働き者”だと褒めてもらえることがある。
僕はそれが嬉しかった。
父の話を聞いた時、確かに父の血が入っていて、また父の尊敬している部分でもあったのでとても誇らしくなった。
また、母が家でたくさんの植物を育てていた。
そういえばそういう人だ。いろいろなものを大切にする人だと思い出した。
「じゃあ、また」なんて一言二言で、母と別れ、新幹線に乗る。
僕は30歳になった。
時は進む。
今後どうなるかわからないけど、両親の血が流れているから、土台大丈夫な気がした。
頑張ろう。
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