空のカップ
自分はどうしようもないなと感じてしまう瞬間が、多々ある。
喫茶店でも居酒屋さんでもピンポン(正式名称はなんなのだろう?呼び鈴?)が無いと不安で仕方ない。
「すみませーん」と声を発することへの抵抗。
なんだか誰かの、もしくはこの空間全体の何かを切り裂いてしまうような恐怖がある。
だからせめて消極的に手を上げて、もしくは歩く店員さんに目線ビームを送って気付いてもらう。なんとも男らしくないことだ。
それに加えて、僕は店員さんの顔色とか行動を窺ってしまうのである。
「今、あの店員さんはテーブルを片づけに行った。でも実はその近くの席にさっき案内したお客さん2人組の注文のタイミングを窺っている。ここで手を上げて注文をし、更にその直後にその2人組の注文に捕まってしまったら、店員さんは3つ仕事を持つことになってしまうではないか」といった具合。これで僕は注文できずに20分ほどそわそわしたことがある。多々。
なんてどうしようもない話だろうか。
そんなことになったとしてもきっと店員さんは困らないだろうし(困ったとしても本当に些細なこと)、ましてやそれが仕事だ。覚悟はできているだろう。プロだぞ。
頭の片隅でぶつぶつと自分に説教をされても、そういう性分なのだ。
根っからの臆病である。
だから誰かと遊ぶとなった時も企画なんて滅多にしない。
大前提として、僕は人の言葉をあまり信用しない。(もちろん例外はある)
これは鏡のように自分を映していると思うのだけど、
多少無理をすれば合わせられる。少し我慢すれば円滑に進む。といった良いのか悪いのかわからない日本人らしさが根本に全人類持っていると思っているからである。
だから、「このお店でいい?」なんて訊いて「いいね!」っていう言葉はどこか不気味に聞こえてしまっている自分がいる。
ここでも人の顔色を窺ってしまう悪い病気が出て来るのだけれども、ほんっとうに嫌な思いをしてほしくないのだ。微塵も。気を遣わないで接してほしい。だから大抵、何かを企画をすると気持ち悪さがその企画終了まで付き纏ってしまう。大抵の場合、ひどく疲れて終わる。
だからといって、カラッとしている人と人と接する方が楽とは限らない。
もちろんそっちの方が素直な気持ちが聞けて、負荷なくよかったりもするのだけど、その分そういうカラッと系パーソンは押しが強かったりする。
僕は本当に押しに弱い。
あまり詳しくは言えないけど、騙されたなってことだって少なくない。
だから押しに振り回されて、ひどく疲れて終わることもある。
結局はいい塩梅が良いのだけど、そんな人は中々いない。
だから僕は人と遊ぶことが少ない。
遊んでも呼ばれる側が圧倒的に多い。
まぁ呼ぶ側が良いのか、呼ばれる側が良いのかはわからないけど(きっとそんなことを決める人は苦手だ)、とにかくハリネズミ程に憶病なのだ。
なんでこんなにイジイジとした話をし始めたかというと、
オーディション用に自己紹介を書かないといけなくなったからだ。
自己紹介。
はて、自己紹介とは。
小学校からこの項目はあったように思う。
でも大抵は名前と所属の何かと年齢と好きな物とかであった。
大人になって(30も手前だけれども中身が大人かどうか甚だ疑問だ)思うが、自分でさえ自分がわからない。何を考えているのか、何を信じているのか、一番好きな音楽は何か、一番好きな歩き方はなにか。
いつだって直ぐに変わってしまう。変わらないのは名前くらいだ。
そしてその名前は自己紹介の欄の前に書いてしまっている。
ということで真っ白で困っている。
から自分を想い始めたら、忌々しい臆病さと会話をし始めたという訳だ。
難しい。
マイナスプロモーションをするわけにもいかないので、あれこれ考えるがどうにも落ち込んで行ってしまう結果になっている。もしかしたらこのまま寝込んでしまうんじゃないかと震え始めている。
というところで、
なんと別件で「星の王子さま」を読み返すこととなった。
やはり偶然なんてないのか、すごく響く言葉がたくさん詰まっていた。
(というかいつだってこの本は大事なことを思い出させてくれる)
“大事なことは目には見えないんだ”
さぁここからだ。
大事なことをみつけにいこう!
あぁ店員さんと目が合わない…
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