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反骨精神



私は昔から、自分のことは棚に上げて、いろんなことを批判的に捉えるひねくれた人間でした。

謙虚な気持ちを覚えていったのは、福祉の仕事を始めてからです。
そこで出会ったのは、いろんな困難を抱えながら懸命に生きていく人の姿でした。
私は彼らを誰よりも尊敬しているし、彼らと一緒に生きていきたいと思っています。
子どもたちへも同じように思っています。
横並びで向き合いながら、一緒に成長していきたい。大人だって全然賢くないんだから。

このたび、不登校の子どもたちの居場所を巡るあれこれを経て、あまりにも理不尽に子どもたちの居場所が損なわれてしまったという現実。
それを受けて、私達の胸にふつふつと湧き上がってきたのは健全なる反骨精神でした。

本当に子どもたちのことを考えているのは誰か?
目に見えない子どもたちの心の傷に、誰が責任をとれるのか?
いや、そもそも何のためにやってるの?
どっち向いてんの?
私達が大切に思うことをことごとくないがしろにされ、本当に腹がたったのです。

相手側の言い訳は「公設民営の難しいところで、、、」でした。
行政からお金をもらっていると「お金をもらうためにクリアしないといけないこと」が本来の目的を濁らせていってしまいます。そして、だんだんとその事業が形骸的なものになってしまいます。
そういう空気を私は福祉の現場でも感じます。
もったいないなと思うし、悔しいです。

最初は「行政批判は伏せないと」と思っていましたが、もうええかなと!

私達は怒っているんです!
怒ってもいい!このやろー!!

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そんな経緯で、私達は権力やら政治やらそんなところからは離れた場所でこの居場所づくりをスタートさせたいと思っています。

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