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クリーピー 偽りの隣人

私には見るのに覚悟がいる映画がいくつかある。
簡潔に書くと、ホラーとサイコスリラー。
その中でも黒沢清監督の映画は特に覚悟がいる。
もちろんホラーやサイコスリラーばっかり撮ってるわけじゃないけど、黒沢監督の作品は何というか無機質というか、温度がない感じがする。
クリーピーを見に行くのも友達とアミダくじで決めた。
そして、クリーピーに引き寄せられてしまったのだ。
ビビる私への運命の悪戯。
もう受け入れるしかない。
嫌な予感しかしない。
見終わったあとの自分が想像できる。
今回はとりあえず、客観的に俯瞰で映画を見ようと心がけた。
監督目線で見ると色んなことに気付く。
黒沢監督の映画の怖さがどうやって作られているのか。
まずは照明。
最初は昼間の西日から始まり、少しずつ暗くなっていく。
これが何故か不安を煽り、怖さを増すのだ。
その照明の使い方が計算されていてとても効果的。
音楽も重くのしかかってくる。
そして、微妙なカメラの揺れと動き。
あえて遠くからの視点でシーンを進めたり。
叫びという作品の時もラストシーンで嵐の中のシーンが使われたが、今回も肝となるシーンで同じ手法が使われていた。
黒沢監督は理系の人だと思った。
以前、黒沢監督の演出について役者さんが語っていた

黒沢さんは理由を言わずに動きをつける
訳もわからず指定された通り奇妙な動きをして
映画を見るとそれが実に怖い演出になってる

と。
まさにその通り。
見ているこっちは自然と理由を探したがるが、そこに理由がないというのが一番恐ろしいのだ。
そういうこともすべて分かってるか
と思うと、やはり黒沢監督はただ者ではない。
それは世界が認めていることだ。
私が黒沢監督の映画をはじめて見たのは15の時だった。
CUREという作品だ。
クリーピーを見ていて何度か被る部分を見つけた。
15の私にはかなり衝撃的だった。
一ヶ月ぐらい病んだ(笑)
今もう一度見てみればまた新たな発見があるかもしれない。
と思ったが
もちろん
見る勇気は皆無だ。

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