「シャララ」という漫才師に惚れてここまで来た


私が上京前に影響を受けた東京のお笑いの人々として挙げるのは、決まって「フランスピアノ」「かが屋」「レッドブルつばさ」「魔人無骨(現令和ロマン)」「ヤ―レンズ」
そして「シャララ」だ。


当時西日本の端に住んでいた私にとって、マセキ公式が毎月アップしてくれるパンキッシュガーデンの動画は、「最新のお笑い」を知る数少ない手段だった。
当時は配信ライブという概念がなかったうえ、お笑い界隈のYouTube参入には懐疑的な視線を投げかけられるような時だったから、尚更マセキ公式の存在はありがたいものだった。
やることを一通り終えた夜、ゆっくり「今の東京のお笑い」を開拓する時間が、とてもとても大切だった。

ある夜、自動再生機能で流れてきた漫才に、一瞬にして耳を奪われた。

耳に心地の良い声とテンポ、冴えわたるワードセンス、安定感抜群のツッコミ、不思議と惹きつけられる空気感…

コンビ名は「シャララ」。

漫才の冒頭30秒だけで、
「いやどう考えてもこの人たち売れなきゃおかしいだろ!!!」
と、私の全脳細胞が紛糾していた。

そこからはもう貪るように過去のパンキッシュガーデンの動画を見返し、シャララのどこか浮世離れした、だけどしっかり地に足の着いた漫才に、沢山笑ったり脳汁をドバドバ出したりしていた。
パンキッシュガーデンの組み換えの時期には、誰に共有するわけでもなく、今回シャララはピンクだのオレンジだのと一人静かに騒いでいた。
なんなら月一回というマセキ公式の更新頻度にやきもきして、寄席研時代の動画まで辿り着いて見ていた始末だ。
恐ろしい人たちだと思ったし、こんなに面白い人たちがM-1では準々決勝にすら行けないという状況は、もっと恐ろしいと思った。


そして、私が上京する3か月前、2019年の12月、

シャララは「本日付けで」解散してしまった。

私は、シャララ最後のライブ「シャララのライブ」にも、あとほんのわずかなところで間に合わなかった。


Twitterでこのニュースを知った時、私は驚いたり悲しんだりするとかじゃなく、ただただ茫然としていた。
どれだけの「面白」を生み出せたとしても、そのコンビとしての「面白」の生産を終わってしまうプロが存在するという事実。それに本当に打ちのめされた。
私が「シャララ」の漫才で全身の毛を逆立ててTwitterに飛んで行ったあの夜は、一体どこに行ってしまったんだろう、とも思っていた。

そして何より、自分がシャララの漫才と彼らの歩んだ道程を、全くもって目撃できなかったことが、心の底から残念で、悔しかった。

この解散があったからこそ今この世にマタンゴやコーツの漫才が存在しているのだし、「推しは推せるうちに推せ」じゃないけど、そういう精神性が私の中に養われたとも言えるから、彼らの解散自体を否定することは決してない。
再結成も、本人たちにその意思がないのなら、全く望まない。

だけど、シャララがいなかったら、私は今と同じように東京にいてもここまでお笑いにのめり込んでいなかっただろうし、知ることすらできなかったお笑い芸人やライブが沢山あったはずだ。
あと、解散からもう2年が経つというのに、そして彼らの歩んだ道を一度も目にしていないのに、こんな風にnoteを書くこともなかったはず。


今、目の前に応援したい人がいて、その人との伴走が叶うのだとしたら、とてもとても幸せなことだと思う。


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