忘れられない事件

軽やかに生きる人を増やしたい

ふわっと降りてきてピタリとハマった
今の私のビジョン。

そう思う背景の一つに
忘れられない事件がある。

少し生々しく生死について語るので、
そういう話しが嫌な方は
ここから先は読まないことをオススメする。

忘れられない事件とは、
元農林水産省事務次官が
障害があり精神的に不安定だった息子を
殺害した事件だ。

この事件そのものが
センセーショナルなだけでなく

この元事務次官の彼の娘さんが
28歳のときに自身の人生に絶望して
自殺していたということが
わかったとき、

この事件は、
ますます私にとって衝撃なものとなった。



自分に起きていても、不思議じゃなかった。


それが、私にとって、
忘れられない事件である所以だ。

私は、第一に、
その自殺した娘さんの人生に想いを馳せた。

確かに、彼女にとっての兄は、
実兄であり家族かもしれない。

兄の挙動により兄の存在により
彼女自身の人生が狂ってしまったのかもしれない。

でも、だとしても、
彼女自身には、
彼女の人生を送る権利があっただろうし、

家族であろうと、
誰も彼女が彼女らしく生きる権利を
奪うことなど出来ないはずだ。

家族であることが苦しいなら、
縁を切ってでも、家族から離れ
自分を大事にして自身の人生を生きる、
という選択をしたって、
構わないのではないだろうか。

だけど、
彼女はそれをせず、死を選んだ。

そのことに、
私は、自分の無力さを感じた。

確かに、彼女の人生に思いを馳せるとき、
訳もわからず攻撃性のある障害ある兄により
自身の身の安全が保たれない環境に育ち

兄の存在により、自身の結婚も破断になり
人生に希望を見出せなかったのだろうということは
想像に難くない。

兄を恨む気持ちと同時に、
どんな兄であっても家族であり
大切という気持ちもあったかもしれない。

家族に対する恨みもあるかもしれない。

どうして自分ばかりがこんな環境に生まれたのか、
という理不尽さも抱えていたかもしれない。

どれもこれも、
私が想像しうる限りではあるが、

私自身もまた同じような感情を
さんざん、味わってきたものとして、
とても他人事とは思えなかったのだ。

私もまた、同じように自死を選んでしまっていたのかもしれない。

報道から見えてきたに過ぎない他人の人生ストーリーに
思わず自分を重ね合わせた時、

このままでいいはずがない

と、強く思ったことを覚えている。

とても受け止めきれないほどの
苦しい現実の中で
誰にも吐き出せずに死んでいった彼女を思うと

ただただ話を聞いて
心のうちを受け止める立場になれなかっただろうか、
そういう人は、いなかったのだろうか、
と、残念でならない。

こんなにも気にかけてくれる人がいる。
こんな私にも、話を聞いてくれる人がいる。

そんな些細なことでも体験していれば、
「もう少しだけ生きてみよう」という想いが芽生えたのではないか、と
と思うと、

哀しさと悔しさが混ざった感情が押し寄せる。

そういう人の心に、少しでいいから
セイフティネットになれていれば、と。

とはいえ、私なんかにその役割が務まるのだろうか、
という想いも、同時に湧き起こるのも事実。

それでも、
私が何を伝えるために
今生きているのか、と問われれば、

たとえ苦しい現実があったとしても、
あなた自身の人生を生ききることを、
どうか諦めないでほしい。


と、伝えたい。

大それたビジョンなんてなくていい。
社会で一角の人になる必要なんてない。
名の知れた活躍や名誉を残す必要なんてない。

あなたが、この世界の片隅に生きて
軽やかに生きて、人生を全うする、
それがどれだけ価値があることか、を伝えたい。

そういう沸々とした想いが
ようやく言葉として溢れ出てきた、今。

必要とする誰かに、届け。

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