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世界を「ダサい」と「ダサくない」に分断していた自分に気づいた話

2021年6月21日。今年の夏至は凄い変化の時期らしい。
噂によると、「デトックス」?や手放しが起きるとかなんとか。

そんな時期だからなのか、いや、それとは関係ないのか、私もまた、私の中に巣食う、結構大きなトラウマを発見した。

というのも、

世界を「ダサい」と「ダサくない」に徹底的に分けて分断していて、「ダサいと思われてはいけない」「ダサいと思われたらそれは死を意味する」ぐらいの曲解をしていた自分を発見したからだ。

この話をする前にイメージしておくといい映画がある。

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『SUNNY 強い気持ち・強い愛』という映画。これは原作は、韓国の『SUNNY 永遠の仲間たち』という映画の日本版リメイク。

元々の韓国版もそうだが、高校時代の仲良しグループだった女子たちが、20年以上の歳月を経て、再結成する話で、現在と過去を行ったり来たりしながら話が進んでいく。

日本版は特に、自身の高校時代である1990年代の、ルーズソックスが流行った全盛期の頃を「これでもか」というぐらいに描いているのである。

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ま、いわゆる「コギャル」とか言われて流行っていた世代。

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当時の流行の安室奈美恵やTRFの楽曲が使われているので、

「懐かしー!!」

と、当時を表面的に懐かしむ分には、いい映画であろう。

だけれども、私にとってこの映画は、「苦い」>「懐かしい❤︎」ものだった。まさに「ダサい=死」という強烈な思い込みを作ったのは、この時代だったから。

主人公の阿部奈美(演:広瀬すず)は、淡路島から東京の高校に転校してきた。その時、長いスカートに短い白のソックスで登場。誰もが制服のスカートは短くして、ルーズソックスを履いて、カーディガンを着ていた頃。

なので、それはもう当然、「ダサい」と言われまくるわけである。

あのシーンの感じが、私の嫌な記憶を呼び覚ましてくる。


話は変わって、いつから人は「おしゃれ」を意識するようになるのであろう。

思い出すは8歳か9歳の頃の誕生日、母方の祖母が、洋服をプレゼントしてくれた。結構、いいところのブランド服で、わざと裏地っぽいほつれ感が表に出ている、白のカーディガンだった。私はそれをみて、「ガッカリ」していた。「服かー」と。「服よりはオモチャとか別なものが欲しかった」と思ったことが顔に出たのか、祖母と母が、

「この年だと、まだ、お洋服は欲しくないのよ」
「そうかー、従姉妹の〇〇ちゃんは服が欲しい!ってよく言うけど、もっと年上だものねー」

と言う会話をしたことを覚えている。その時の感覚は「服が一番欲しいもの」になる時なんて来るんだ?と思ったことも覚えている。

つまり、「自分の容姿」に対して、意識を巡らせるのは、早くても10、11歳以降くらいなのかな?

そのぐらい服に無頓着だった記憶が鮮明にある中、小学校6年生の時には、「ピチレモン」なる小中学生雑誌を読むようになり、服装が俄かに気になり始める。そして、中学校に入って、指定の体操服を着て、体育の授業を受けているときにハッとする。

足首がギュっと絞られたそのジャージ素材な体操服は、指定の中学の紋章が入ったTシャツをインして着ようものなら、究極に「ダサい」のである。

窓や鏡に映る自分の姿を「ダサい」と認識したのもこの頃だった。

やがて、足首のところを辞書を入れて引き伸ばしアイロンがけして、ズボンの裾が絞られずにまっすぐストンとしたラインにすることが校内で流行り始めた。

それをしていない子はダサい。

と言うレッテルがつき始めて、私も慌てて、追随して、同じようにジャージズボンを加工した。

誰かに直接「ダサい」と言われた記憶はない。ただ、もう、この頃は、クラスにいるときに、誰かと誰かがクスクス笑いをしようものなら、

「あっ。もしかして、私のこと、”ダサい”って馬鹿にして笑っているのかな」

と条件反射のように勘繰ってしまうほど、「ダサい」に対する被害妄想がひどくなっていた。

そこからは、徹底的に、自分が「ダサく見えないために」努力するようになった。好きかどうかよりも、「ダサいとバカにされる」と言う恐怖感から、おしゃれになるための雑誌を読み漁って、近くにできた、イケてる服が買える場所で、少し背伸びした服を買うようになった。

うちの親は「きちっとした」感じの服が好きで、そういう服ばかり着させたがったが、ルーズソックスに象徴されるように、当時は、もっと、穴あきジーンズとかキャミソールとかカジュアルなアイテムを着こなせることがかっこいいと思われていたように思う。

それで、初めて穴あきジーンズを買ってはいたときは、「してやったぜ」感がすごくて、自分としては、何か一筋の罪悪感と優越感、そして、父の「何がいいんだ?理解できない」と言う困り顔とをセットで覚えている。

その後、大学生になって、NYの留学先に、特に何もおしゃれな服を持っていかなかった(だって、アメリカは、ジーンズにトレーナーしか着てないからオシャレなんて不要だ、説があった)ら、

あれれ、NYにいる人はみんなオシャレだぞ、「私だけダサいぞ」と言う思いがむくむくと湧いてきてモヤモヤしてたとき、メールでやりとりしていた、高校からの大親友から

「”オシャレ”は瞳の特徴だから、オシャレした方がいいよ」

と言う言葉を聞いたときには、得体の知れない嬉しさがあった。

今、分解してみると、高校の時、「ダサいとバカにされる=死」ぐらいの極端な恐怖心から始めたオシャレが、自分の一つの特徴であると言われるぐらい、私に定着していたものに昇華されていた、と思えたことが一つ。

「ダサい」と思われてはいけない、という恐怖心から、「ダサい」に陥るセンサーが敏感になっていて、ある意味、一つの自分の武器になっていた、ということが一つ。

そのときから、恐怖心がどうこうではなく、「純粋に”好き”とか”素敵”と思えるものを着て楽しめばいいんだ」に少しずつ転換されてきたように思うが、

まだまだ、私は、どこかに「見た目(のダサさ)で評価判断されてしまうことへの恐怖」を隠し持っていて、世界を「ダサい」か「ダサくないか」で日本刀のような鋭さで、バッサバッサと斬ってしまっているんだ、

そして、そこには、「ダサいって馬鹿にしてクスクス笑う者たち」への悔しさと、不甲斐なさと哀しさと・・・が深く体に刻み込まれているんだな、って思ったら、泣けてくる。

あの頃は、生存することに必死だった。なんとか、スクールカーストの中で、最上位で振る舞う自称イケてる子たちには、仲良くしてくれなくてもいいけれど、違う世界扱いされないために、食らいつくために、ダサくないことを研究していた。

その時の自分の心にあった感情を見つめてみたら、本当に頑張っていたよね・・・必死でダサくないように振る舞っていたよね。でも、どうやっても拭いきれない、自分でも思うダサさとかを見つけるたびに、どうしてこんなふうに産んだの、もっと素敵に産んでよ!とか、お門違いの怒りを両親に思っていたこともあったな・・・

という、癒されきってなかった怒りとか悲しみが表出してきた。

さて。これを癒やし切れたら、もっと心から、心の底から、純粋にファッションを、オシャレを楽しめるだろうか。

ダサい?誰にどう思われようとも関係ない。これが私。今の私の表現する服はこれなのよ、私が私を表現する服を着て、何が悪い。

ってぐらい、鋼のハートは手に入れられるだろうか。
乞うご期待w

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