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射精責任読んでから男児の女湯問題に触れてみるよ。

昨今
男児が女湯に居るのは異常
男児を女子トイレに入れるな

そんな意見がSNS上で見受けられますよね。

完全に時と場合によると思うし、正直、私は大袈裟に騒ぎ過ぎじゃないの?
と思ってしまうのだけれども、恐らく、問題視する人にもそう言う理由はあるのだし
今までのある種の古くて大雑把、マナーレベルの取り決めな日本の文化とのお別れな気もしつつ
やっぱりこの意見には過度な神経質を感じてしまうのでした。

実際のところ、男児が女湯に入れなくなろうが、私は「ふーん。関係ないかなー。」
くらいの感想しか持たず、その動きに否定も肯定もせずに明日の晩飯を考えている自信があります。

むしろ、男児を男湯、男子トイレに早くから入れておくのは、今後の性的リテラシーと、自覚を持たせる為には必要だと思います。
私も不本意ながらLGBTにカテゴライズされる立場ながら
心は女性な男児にも
社会からはその扱いを受けるものである。
だから、大衆浴場には行かない
等とその子の今後を早期から判断させるためにも「キミの生まれた性別とは」というのを教えるのは必要な事だと思っています。

ただ問題なのは、男児に対してSNS上の女性が性的な嫌悪感を持っている現状です。

全て見通した訳ではないですが、主に女湯に男児を入れてはいけない理由は、恐らく成人していると見られる女性が男児に裸体を見られたくないと思っていることが大きな理由だそうです。

突き詰めると
男児にも性欲はあり、そしてその性的に我欲を有した小さくも確実に女湯には異物な存在を許すまじ。
という観念を感じます。

その争点や、性的観念を浮き彫りにしたのはTikTokで悪い意味で大きな反響を有した、7歳児頃の男児がその母親の姉
つまりは叔母にあたる女性に、過度に性的と思われる密着を行ったり、乳頭を引っ張る様子を投稿していたものからでしょう。

私はこの動画のスクリーンショットしか見ていませんが、確かにそれだけでも胃が下から突き上げられるような、ゾワゾワと虫酸がはしる心地になりました。

私は、幼稚園のカメラマンを過去に3年ほど経験しており、その際にあらゆる保育園に行っていました。

その頃の経験が幼年期の子供を語る際にはそれなりな説得力となり、嬉しい心地です。
園内ではやはり女性の保育士さんが若干多めなイメージです。
その中でも、当該の少年のような挙動な男児は極少なく、恐らくは彼が日頃よりかの挙動を家庭内で許されている稀有な状況であることが見て取れます。


幼少期とは言わずもがな、個人の人格形成の重要な期間であり、逆に非常識な行為を悪気なく行うこともあります。

無垢であるということであり、その意図に悪意がある割合は成人よりもグッと少ないです。
私が経験した場面だと…
男児からクレジットカードを抜かれたことがあったり
女児がこちらにしきりにパンツを見せてくることもありました。
お泊まり保育で、入浴時に女児が裸体を私に晒し、羞恥を出すどころかカメラに見せびらかす意図を感じることもありました。

1番にあげた窃盗に準ずる行為は性差を問わない問題のため、ひたすらにその行為を行った後に本人が受ける可能性がある、信用の喪失や法的罰則の存在、そして盗まれた側からの反感等とペナルティを伝えるわけです。

また、偶然女児2例のパターンをあげたのですが、もちろん男児にも同様です。
児童とは、本人が意図せずに相手からすると性的なサインと受け取りかねない行動をしてしまうことが有り得るのですね。

彼女達はただ単に目立つなどして自身の存在のアピールがしたいだけで、当然それには性的意図はありません。

そこで、彼女たちには女子としてのモラルを伝えれば良く、その行為が社会的に示す意味合いを愉し
女児の入浴時には、園の仕切りとなっていた鉄格子を境に中年の男性がにやけ顔でこちらを見ていたこともあり、社会の危険性の示唆をする機会ともなりました。

この様に、特に女児には小児性愛的な危険性を社会への嫌悪に繋がらないレベルで意識してもらうことは今後、大人となり行く過程に必要なこととなります。


その延長で、男児にも逆ベクトルに女児に伝えるように
男子とは、女性から性的に見られる存在のため、女湯への入浴を禁ず。
それそのもの自体は問題ないのですが、その扱い方があんまりにも腫れ物のようで、予め男児を、もとい男性という存在そのものを悪として捉えている様子が顕著に感じられました。

女児に対する、性的な存在として扱われる危険性を最低限に伝えるべきであるのと同様に、多少なりとも、男子とは、社会ではこのように見られるのである、ということは伝えるべきです。

それにしてもその訴えがフェミニズムを感じる女性諸氏の男性嫌悪を感じられ、その態度による男児への悪影響が危惧されて嘆かわしい。


長々とした前置きとはなりましたが、ここで話題図書の「射精責任」を読んだ感想と織り交ぜて、男児への私的に見た際に過度な性的嫌悪をする1部風潮への考え直しをお願いしたいのです。

当著書は、ガブリエル・ブレアという6児もの子の母親かつ、多数著書にてニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナル誌でも評価を受けるアメリカ人の女性作家によって著された本です。
タイトルからも察せられる通り男性の射精に対しての意識を持ってもらう狙いがあり、望まぬ妊娠をする女性を1人でも減らす願いが込められています。

以前より時たま受ける見知らぬ男性の性的な行動や、男性とのズレの大きな思想からフェミニズム思考が形成されていた私は、この本から更に自分の有している思想の確立を思案して遅読家ながらについさっき読み上げた次第でした。

その感想として、今回触れた男児が過度に性的嫌悪を受けてしまっていること「射精責任」との関連を感じたのでした。

本書も創刊されたなら書籍販売のビジネスなので、よりキャッチーなフレーズを用いることも分かるのですが、これは男性からすると、各フレーズで縫い針での肌をチクチクと刺されるような様子を感じます。

おおよそ女性の訴えの濃縮されている本ではあるのですが、一つ一つの表現に結構な大袈裟を感じるものです。
実際、性的に奔放に、あまりにもワガママな男性は実在し、その男性諸君にはくれぐれもこのくらいの意識で生活してくれたまえ、と伝えるべきではありますが…

そもそもそんな男性はこの本は読みません。
誰もが自分の今の状態を否定する意見とは聞き難いものです。
かと言ってこれがある程度のモラルを有した男性が読んだ際には、イメージとしてはフェミニストの女性から詰める様に男性であることを罪に思うように訴えられている感覚を持ちます。

あくまで女性の味方に寄った私の読んだ感想としても、実際の1.4倍盛られた話が展開している様に感じました。

著者にもそこまで行き着くほどの男性の横柄さを感じる節があったのかと思いますが…

それにしてもこの意見を真に受けてしまうと男性は鬱になるか、自殺願望が芽生えるようになります。

もちろん、男性のパイプカットは女性に比べて簡単で安価。
しかも高確率で元に戻せる、など知って良い情報もありましたが特に印象的なのは1ページ丸ごと使われた「精子は危険である」というフレーズです。
作中では、頻繁に例え話を用いて現状の説明をするのですが、男性器を銃器と例え、精子を弾丸を見立てる様があまりにも大袈裟すぎる。
そして、その男性器で女性は殺される、人生を蔑ろにされてしまうとあり、それが事実であるからそこ、この飛躍した例えは却って男性の読者の共感を損ないます。

重ねてお伝えするのですが、性的に乱暴に思われる男性はぜひそれくらいに捉えて貰った方がちょうどいい塩梅ではあります。
しかし、これをスタンダードな観念にすると、まるで男性であることそのものが悪に捉えられるようであり、かつ男性に生まれたことを罪深く懺悔させられる心地にもなります。

それくらいに男性嫌悪する群の女性がいることもまた、知るべき事実で、その女性群をそこまでの感情にせしめた男性には反省の義務すらあります。

このフェミニズム思考が今回の男児の女湯へ連れられることのアンチの源泉となっています。

日本の性犯罪の加害者男女比率で言えば、9割以上が男性による犯行と言われている以上

事実、将来的に男児が性犯罪者となり得る未来はあり、だからこそ正しい性的知識を早期に有して貰う方がよいでしょう。

だからこそ、あまりにも男性そのものを性的な悪として捉えて接する風潮が大きすぎる気がします。

私も誰かの親ではない以上、子育てに対して実体験を交えた意見をお伝えすることは出来ませんが…
それでも社会の一員として、ざっくり社会に半数程存在する男性に、そして未来の男性になる男児自体に、性的な悪と定義付ける風潮には少しだけ、考案の余地をください。

私は他の女性と比べて人一倍の男性との性的経験があり、時に辟易とすることもあれば、横柄さに涙したこともありました。

人によってはバストサイズを再三確認したり、パンツの色を聞かれて、血相を悪くしてしまった際に
「そんなに歩み寄ってくれないならもういいよ」
と不公平に感じているような顔色を伺ったこともありました。
これはその男性からすればそういう性的に嫌悪感が示される質問がセクシャルハラスメントの自覚がない、もしくはハラスメントだとして、自分は現在当該質問の権利があると思っていることの表しです。

彼の人生を私は見てきていないけれども、彼にはセクシャルな話題が女性やそれに準ずる存在への害する感覚を得ない人生だったのだと思います。
彼は40歳の初めのお年とお伺いしているし、20代前半の男の子がそんな話題には触れずに夜の言葉で言う、キレイに遊んでくれることもありました。

要は彼らの成長過程に経験することが彼らの自我に影響があるというだけ。
確かに男性の性欲とは罪の大元になる可能性もあれば時に社会的地位の確率を促すバイタリティにもなります。

どう働くかはその当人と、周りの環境次第であり、どの様なご年齢となろうとも特に性に関しては彼らを変えることが出来るのは
相対する性対象の存在と、当人が聞く耳を持つ気になれる相手となります。

性欲とは時にきっと男性特有の悩みでもあるし、大きく可変なエネルギーとも感じます。

事実、そのエネルギーが兆単位の経済効果を生む市場を作り上げ、稀ながらに女性にも喜ばしい感情をもたらすこともあります。

必要なのは、男性の廃絶ではなく、むしろ男性へのリテラシーの共有と、時に生理にも似通った男性の急激に増減する欲の変動を女性もまた共有することかもしれません。

その過程の最大限重要な幼年期を邪険にする心よりも彼らを未来を担ってくれる存在として尊敬する心待ちを共有したく思います。

もう少しだけ、幼稚園のカメラマン時代のお話をさせてください。

運動会の撮影では、リレー走者の児童が僅差に相手方に負け、大泣きして、競走を学ぶ1面を見て、涙の込み上げる感情になりました。

学芸会で単一な踊りをするだけでも男女問わずに非常に愛くるしくなり、またその小さな身体で緊張感などに向き合う機会は今後似た人生を歩むか否かに問わずに経験はしておいた方が良いでしょう。

卒業式の日、幼ながらに恋仲の様な睦まじさを見せる男児が別れの涙を堪えて、かの女児の頬にキスする場面を見せてくれた時もありました。

彼らが与えてくれる感動の一節をどうか広い心地でご共有給われますように。

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