自分の意思は何処へ?

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今朝からディズニーへ向かう電車の中せっせと文字を打ち込んでいる私ですが、(ディズニー楽しめた)前回の母に関しての記事について沢山のスキを頂き嬉しくてニヤニヤしています。ありがとうございます。
さて、母が亡くなり高校最後、自身の進路について悩む時期になっていました。周りがぞくぞくと進路を決めていく中、どこの大学へ行こうか?何を学びたいか?
何も夢もなく決まらないでいました。正直焦りました。
ふと母が言っていた大学を思い出しました。
母が亡くなった後、秋頃にオープンキャンパスにも行っていましたし、何だかんだ大学の雰囲気も好きでした。
取り敢えず受けてみようと夏にあるAO試験を受けました。(夏休みが受験で消え失せた思い出。)
何故か受かったので、高校卒業後、大学に入学したのです。

しかし、大学で学びたい事がないに等しかったので、勉強が苦痛で堪らなかったです。それもそうです。

自分の意思で決めていない。

母が昔そこに行けば良いのよと言っていたから受験を受けてみた。
結局母が亡くなっていても、母が丁寧に敷いていたレールの上を歩くしかなかったのです。

そして周りには、

「母が勧めてくれたこの大学へ行きたい。母の夢を叶えたい。」

とんだ良い子ちゃんを演じていました。
本当は憎くて憎くて堪らなかった癖に。

今まで母に全て決められて生きていました。
欲しいものもほぼ高確率で買って貰えなかったので、母がいなくなった後何が欲しいと聞かれても中々言えず、父や周りから物欲のない子と思われていました。
また母や周りの大人に良く思われたかったので、真面目なふりや余計なことを言わない様に最低限の会話しかしない様にしていました。(母にとって余計なことを言ったら激怒されていた苦い過去。)

私はいつの間にか自分の意思のない人間になっていったのです。

何を決めるにもその選択が自分の意思で選ぶのではなく、もし母が居たらこう答えるだろうと、自分が選ぶのと真逆の内容を選択し、正解であると思い込んでいました。

母がいなくなっても尚母が敷いているレールから外れてしまうのが駄目な事だと信じていたのです。
そんな筈はないのに。

そんな私が自分の意思で決めれる様になるのはそんな遠い事では無かったのですが……。

それは次回の話で。

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