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98、義務感と血縁のしがらみやカルマ

私は、〈義務感〉という意識をよく使っていたことに気が付いた。
私が愛情で相手に対してやってあげたいと思う気持ちに対して
その義務感は上手く張り付いていた。

私が過去に使っていた意識の使い方を例にして説明していきます。
例①自分の生活もあり、自分の好きなこともしたい。
でも、何かご褒美を買う時に
「家族の分も買わないといけない」という義務感、
「買わないと意地悪って責められる」という被害者意識が
乗っていた。
相手の分まで買うのは今はちょっときついなと思うと
自分の分も買わずに諦めていた。

例②私がどこか出かける時にも
家族が一緒に行きたいと言った場合、
「交通費を出してあげないといけない」
「車の運転をしてあげないといけない」
そういう義務感があった。
そうするのがしんどかったり嫌だと感じる時もあった。
車の運転がしんどいなと思った時には
行くこと自体を諦めていた。

例①も例②もどちらも同じような体験である。
【意識】の使い方の問題。
やらないといけないという〈義務感〉を使う、
やらないと責められるという〈被害者意識〉を使う、
相手に対して出来ないのなら自分も〈諦める〉、
これはどれも自分が本当は望んでいないこと。
自己犠牲を伴う。
幼少期からの刷り込みもあったが
自分に意識を向けなければ
意識の使い方は変わりません。
どんなことを言っても結局のところ
その意識を採用しているのは自分。
勿論、純粋に愛としてして
相手にやってあげたいって思う時もある。
そこに義務感や被害者意識が
上手く張り付いていた。
やってあげたい愛と
やってあげないといけないという義務感とが
見分けがつかなくなっていた状態だった。
自分の心をよく観察していると
気が付くことが出来る。
義務感や被害者意識の時には
本当は嫌だと思っているし
心がざわついていると思う。
愛情からやってあげたいって思っている時は
ざわつきとかもなく
心から爽やかで清々しい気持ちだと思う。

結果的に私の場合、
この意識の使い方も
血縁のしがらみやカルマを作り出していた。
私は義務感を相手は依存を向けて
絡み合ってる状態になっていた。
何で私ばっかり?と思いながら
やっていたところもある。

【自分のためにやっていい】
【やりたいことを諦めなくていい】
そう自分が意識を向けることで
血縁のしがらみやカルマも解けていった。
勿論、血縁のしがらみやカルマは
これ一つではなかった。
でも、こうして一つ一つ
気が付くたびに丁寧に向き合っていくと
エネルギー的にも現実としても
徐々に変化していくのを感じると思う。

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