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50、使命に向かう時

ツインレイの道を歩んでいる方々は
ずっとずっと色んなものを
手放してきたと思う。
私もそうだった。
自分の中にあった
刷り込まれた価値観や思い込み、
ネガティブな意識、
そういう自分の内面のことから
今までの人間関係だったり
外界のことについての手放しもある。
途中過程では、
まだあるの?ってしんどくなる時期もあった。
そのくらいずっとずっと色んなことを
気付いては手放してを繰り返してきた。

そんな私だけど、、、
使命に向かう時の手放しは
本当に大きな手放しだったと思う。
人は、
時間、労力、お金を沢山かけて
手に入れた物事の方が
執着が生まれやすい。
国家資格だったので尚更執着があった。
それにプラスして
今までのお仕事も
ある程度好きでしていたことではある。
いわゆるライクワーク。
正社員の時には役職もついていたし、
その後はフリーでやっていた。
こんな風に向き合うことがなければ
普通にずっと続けていたと思う。
だからこそ向き合いの段階では、
それが執着なのか?
それとも挫折なのか?
自分でもわからなかった。
そして、
手放すことも実際に怖かったのも
事実である。

でも、どうして向き合うことになったのか?
それはどう頑張っても
今までと同じようにやっても
徹底的に上手くいかない現実がきたから。
今までなら上手くいっていた。
勿論、すぐに納得がいったわけではない。
足掻いてもがいてってした。
上手くいかない現実をみて、
その結果の裏にある要因を分析し
何度も試してみた。
それでも、例えば顧客の体調の問題で
治療が開始され
キャンセルになるなど
自分ではどうしようもない部分での
トラブルが多発した。

自分自身すごく疲れた。
好きでやっているはずだけど
勉強する意欲も減少していた。
それでも無理に自分を
奮い立たせてやっていた。
そんな時、
癒しとなっていたことや、
どんな精神状態でもやっていたことがある。
私にとって、
癒しとなっていたことは
近所の神社に参拝へ行ったり
旅行へ行ってその土地に触れたり
旅行先の神社に参拝に行ったりだった。
どんな時でもいつもしていたのは
自分との向き合い。
むしろ導かれるように
そちらの活動はスムーズだった。

その時に、
元々やっていたことを
すぐに辞める必要はないけど
少し離れようって思った。
それと同時に
導かれていることを
もっと突き詰めてやってみようと思った。
仮に、前のお仕事だって
またやりたいのならできる時もある。
やったらダメなわけではない。
でも、今導かれていることを
やってみようと思った。
その時に頭の中に浮かんだ誓い。
『神様の手となり、足となり活動します。
私の命を使って下さい。』
その時に気が付いた。
命を使うと書いて、使命なんだ。
自分のエゴは一歩下がって、
神様の手となり、足となり活動していくこと
これが自分の役割なんだと気付いた。

一度手放してみるとわかるけど、
手放す前には恐怖や不安を感じていたけど
いざ手放してみると
そのような怖いことは何も起こらないと
理解する。
必要なのは、信頼と勇気。
手探りだけど
一歩一歩進んでいこうと思う。

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