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23、恋愛と愛の違い、愛による私の変化について

私には特別な人がいるって4歳の頃からわかっていた。
大人になるまで何度も同じ夢を見ていたから。
現実では会ったことがない男の子。
現実で辛いことがあっても夢の中でその男の子と会えるから生きていた幼少期。

王子と出逢う前の私の恋愛は、、、
お金を持っていて何でもしてくれてかっこいいと思った人は、お金がないと興味なくなった。
普通の人より優しいから好きって思った人は、優しくない一面をみたら好きかわからなくなった。
溺愛してくるから好きって思った人は、少しでも粗末にされたら、どうして好きだったのかわからなくなった。
それをわがままと言われると、更に冷めた。
そんな恋愛はもういいやって思ってた。
後になって、それは依存、執着、情で繋がる相手だったし、それもまた学びだったと知った。

王子は、どんなに離れていても、どんなに会えなくても、連絡すら取れなくても、どこで何をしてるかわからなくても、いつも私の心の中に既にいた。
ただ存在が愛おしかった。愛だとわかった。
そして私はその事実を認めた。

それは、
自分の不足感を相手に埋めてもらおうとする在り方を終わりにするということ。
自分のことは自分で満たす。
自分の不足感は自分で埋める。
その上で彼を愛するなら、自己犠牲感は生まれない。波動の重さもない。
どんな相手でもただ愛おしくて、どこで誰と何をしてようと笑顔でいて欲しい、幸せでいて欲しいと心から思える相手が王子。
それが無償の愛であり、無条件の愛だと腑に落ちた。
愛を教えてくれた相手。
愛を実感させてくれた相手。

でも、そこに辿り着くまでには、嫉妬、依存、執着、被害者意識など沢山のネガティブを手放し続けた。
ジャッジすることを手放すために、ジャッジしてる自分に気付き、価値観の手放しをした。
思考の癖を見付け、カルマを解消し続けた。
傷付いてる自分を見付け、自分を癒し続けた。
自分で自分を愛し続けた。
永遠かと思えるほどずっとずっとそれらをし続けた。
そういうことをずっとずっとし続けた先に見えた景色だった。

感動した。
王子にも、神様にも、この世の生きとし生けるもの全てに感謝の気持ちがわいてきた。
ありがとうと。
王子はツインレイであろうとなかろうと、私にとって特別な人なのは間違えない。そう確信してる。

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