終
「情がわくからもう君のnoteを見ない」
って言った人は昨日まで恋人だった。
何年かぶりに正真正銘の失恋をして、想像の何倍も落ちきっている。
こういうときに限らずだが、私は基本的に自分の内面をよく喋る。ミステリアスな女性に憧れたこともあるが、もはやこの節操なく喋る口こそ私最大のミステリーと言ってほしい。
その中でも悲しいことを喋るのは、少し理由がある。特にわかりやすく悲しいとき。
失恋が1番いい例え。大抵の人が失恋したらどうしようもなく落ち込むことを知ってる。そしてそれを大抵の人が知ってるくらいには、よくある話だとも知られている。
だから、純粋に同情してもらえて、そしてよくある話のひとつにしてもらえる。
この2つ目の効果、よくある話にしてもらうのが大切なのだ。たかが私の人生、平凡で一般の域を出ない。それでも、たった1人で事柄を感じているとまるで特別に悲しく救いも何も無いように思える。これを、幾人かに共有すればなんでもなくありふれたことだと認識できる。
初めから好きじゃなかったなんて
すぐ別れるつもりだったなんて
振られる方が楽だから嫌がることしたなんて
それでも私が好きでいるから
罪悪感に耐えられなくて別れたいなんて
ありふれてる。
一瞬だって彼は私に恋などしていなかった。
失う恋などなかったんだな。
全部、彼が私にみせた幻だった。
4月からはすぐに会えるね、も。
毎日同じ布団で寝たら暖かいね、も。
電話ができないと寂しいね、も。
全部、本当に、全部、嘘だったの。
嘘であんなこともこんなこともできるの。
何も得がないじゃない。
セフレと縁切ってまでなんの利があったの。
なんで付き合わずにいてくれなかったの。
あのとき、ただアプリであった人で終わってたらこんなに苦しまずに済んだのに。