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すききらい

私のとある絵描き仲間。
その子は『あなたのことが大好きで大嫌いで大好きなんです』と言った。

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同じ絵描きとして、あなたの絵に対し尊敬や応援を想う。
そして、企画展や展示会へと進みゆく私に嫉妬の念も持つ。置いていかないでと思う。

またひとりの人間として、あなたと話すのがとても好きだ。
自分と似たような鬱屈として面倒くさくて醜い部分もあると思うのに、あなたがとても綺麗だからコノヤロウと思う。

大好きで大嫌いで、だから自分なりのポリシーに沿って、応援だけする。頑張っているところを想像してホクホクする。
とにかく大好きです。
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そんなようなことを言ってくれた。
ひとつ年下の男の子。
必死に伝えようとしてくれるけれど、ところどころよく分からなくて、でもそもそもこの子の言いたいことを全て理解するなんて不可能。

けれど、事実として彼の言葉は私の蔓延っていた希死念慮をスっと大人しくさせた。
『どんどんと進んでいくじゃないですか、』と嫉妬するほど思われていることに、何か自信めいたものをもらった気がする。
有難かった。嬉しかった。

彼は先程の言葉にもあったが、自分の面倒くささに自覚的で辟易してるところがある。しかし、『自分のことは大嫌いですけど、誰よりも大好きですね。可愛らしくてたまらないですよ。』と随分前から言っていた。

まだ私は大嫌いで止まっている気がしていた。
自分のことなんて好きだと思える箇所がない。だから初めは彼の言葉がちっとも分からなかったし、今もよく分からない。

でも、少しだけ分かるようになった気がする。
嫉妬も羞恥も偽善も怠惰も、全て自分の素直な状態で、世間一般では受け入れ難いことだろう。誰かが迷惑を被り、不快に思うこともあるだろう。

しかし、素直な自分の状態のうちの、大嫌いな部分を可愛がってやることが出来るのは自分だけなのだ。勝手に自分を好きでいることに何の問題があろうか。
むしろ自身を律する為だとか言って、全く可愛がってやることのなかったこれまでの何と有害で非生産的だったことか。

『大嫌い、だけどそんなところも大好き。』

彼が自分自身に向けていた言葉を私にも向けてくれた。
それのどれほど稀有で喜ばしいことか。

ひとくちで、語れないほどの感情。
両極に振り切ることが出来ないほど積み重なった想い。

ありがとう、
そんな君のことが私も大好きで大嫌いで大好き。