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とかく自分の親には優しくなんかなれない

認知症裁判のニュース。もはや他人事ではないと感じる今日この頃。

私は、介護予防・認知症サポーターやボランティア活動をしておりますが、これがまたまた自分の親になると、どうしたものか 優しくなれない。
前向きになれない。
確かに色々な思いが交差して、嫌な思い出とともに 正直 恨み辛みが沸々と沸き上り、穏やかな気持ちで親の介護なんて出来ません。特にうちの親は典型的なアルコール依存の父親でしたから。

理由はそれだけ?
恨み辛みだけ?

なぜなんだろ。
たくさん たくさん 無い頭で考えてました。

そうだ!お金が発生しないからだ!

薄情な子どもですか?
イヤイヤ…そんなキレイ事ではありません。家族の介護の為に 仕事も出来ず、お金もかかり、終いには 社会との繋がりがなくなる。
そんな怖い事 想像すらしたくありません。
それに 私は子どもを4人育てあげなくてはいけない。

だから 私の親の介護はどなたかお手伝いお願いします。
そりゃぁ肝心な時や、ここぞというときは なんだかんだ言いながらきっと 面倒をみるであろうが、それまではどうか 私は
よそ様の為に 働かせて下さい。
そして社会との繋がりをしっかりと感じながらお稼ぎしたい。
その稼いだお金で 私と同じ様に 考えている人の為に使いたい。

同じ介護をするにも
何の報酬もない義務でするのと
少しでも評価される仕事でするのと
あなたならどちらを選びますか?

こんな考えがあっても私は良いと思います。
親の介護は子どもが見るのが当たり前。
介護従事者が介護をするのが当たり前。

賛否両論だと思うが
そもそも当たり前のことってなんだろ。