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Lass mich nicht los.1

7年前の初夏、嵐の様な雨の日だった。
始発電車を2回乗り継いで羽田空港に着いた。
飛行機のシートに座ってからも落ち着かない…

"こんな雨の中無事に飛ぶのだろうか?"

祈る様な気持ちで両手をぎゅうと握りしめる。
40分遅れで飛行機は九州のとある空港に到着した。
高速バスに乗り約1時間で人口約15万程の地方都市に着く。かつて母方の祖母が住んだ町…

"ねぇ、電話してから行ったら?病院分かるの?"と彼が聞いた。

"大丈夫だよ!心当たりがあるから…"

*       *       *       *       *
大臣を輩出した事もある一族の経営するその町一番の大病院…幼い頃、亡くなった祖母のお見舞いに行った事がある。
横なぶりの雨の中、遠い記憶を頼りにあちこち歩いたけれどやはり分からなくて駅のキヨスクで教えて貰った。

病院の受付で入院病棟を教えて貰い、更に病棟のナースの詰め所の様な所で聞くと母は確かに入院しているとの事(やはりが当たった)

面会謝絶の特別室。

白いドアにかける手が微かに震えている。
ベッドに横たわる母はもう意識もなく左腕には点滴の管が刺してあった。
30数kgまで痩せてやつれた母の姿。
教師をしていた頃の凛とした美しさはもう何処にもない…
中庭に面した特別室はとても静かで、最期の時を出来る限り穏やかに過ごせる様に設えてあった。

"お母さん…間に合ったね?"

骨と皮になった白くて細い細い母の手を握る。
手を繋ぐ事など本当に幼い日以来だと思う。

"お母さん?あなたの娘ですよ、分かるでしょう?"
子どもの頃から折り合いの良くなかった母と私…
けれど自分でも驚くほど優しい声音に響いた。
繰り返し繰り返し同じことばをかけるけれど母は目覚める事も微かな反応さえない…
きっと自己満足だったのだと思う。
せめて1度は命尽きる前に会っておこうと。

"お母さん、私ね、お母さんと似た様なお仕事してるんだよ、凄いでしょう?生徒からの手紙を読むね?長い長い手紙を貰ったんだよ。"

高校入試の当日、見送りに行った中3男子から貰った宝物の手紙を読む。
兄が全てだった母への"認めて欲しかった"と言う思いからかも知れない。
読み終えて再び力の無い母の手を握る。

"お母さん、私もう帰るね?会えて良かったよ…"

ふと、母の左目にが浮かんでいるのに気づく…
溢れても必死に流すまいとしている様に見える事が母らしいとも思う。
(お母さん、ありがとう。待っていてくれたんだね?私も許すからお母さんも私を許してね?)

滞在時間わずか1時間で母と永遠に別れた。
親不孝だと分かっているけれど…
母には兄が全てで病名も入院している病院すら教えて貰えなかった。
その事が今も心に刺さったの様に苦しむ夜もあるけれど…

ワンコと読書が好き…母と私の共通点はそれ位。

帰りの機内の雨に打たれた丸い窓から美しい海岸線が垣間見える。
ふと幼い日に初めて見た海はかつて祖母の愛した"芦屋の海"だったんだな…とそんな事を思う…

もう2度と見る事がないと誓った海。
水平線に沈む真っ赤な太陽。

その4日後、母は静かに息を引き取った。

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*芦屋の海に沈む夕陽
フリー画像お借りしました

お母さん、あなたの娘は今日も頑張っています…

*読んでくださった方、いつもありがとうございます(暗くてすみません)