うみにおちるひかり…
いつか見た風景を夢の中で辿る事がある。
燦々と輝く真夏の太陽ではなく、静かな誰もいない冬の海に沈む夕陽だったり、或いは枯葉舞い散るベルリンのウンターデンリンデンを歩く風景だったり…胸をぎゅうんと締めつけられる思いで。
印象的なシーンの一つは九州の海に落ちる夕陽。小学生の時に亡くなった祖母がかつて住んでいた町、そこから連れて行って貰った初めての海。
ごつごつした岩場もあるけれど幼い目からは永遠に続いているかに思えた砂浜や青くて深い海。
未知の物への原始的な恐怖からか浮き輪に掴まっても怖くて泳げなかった…
ピンク色の小さな貝殻を拾ったり、蟹の歩く様子を眺めたりして波打ち際で遊ぶ私。
けれど母の姿は何処にもなかった…
夢でもその光景を繰り返し見るけれどやはり母の存在はない。
ただ赤々と沈む大きな丸い夕陽を眺めている、誰かと、或いはひとりで…?
時には何処迄が幼い日の経験なのか夢との境界線が分からなくなる事もある。
確かな事はその海の光景が脳内に焼き付いて、折り合いの良くないままある日突然、永遠に去って行った母の面影と重なる事…
*幼い日、間違いなくこの海を見た…
*フリー画像お借りしました
もう一つの風景は、たった一度だけ母とふたりでヨーロッパを旅行した日の事。
どの町も初めての私には感動と興奮だったけれどザルツブルクの小高い丘に建てられた歴史と伝統のあるオサレなレストランでのランチ。
名物のウィンナーシュニッツェルにサラダやパン、ケーキにコーヒー、そんなメニューだった。
その展望の良いレストランのフランス窓から眼下に見たザルツブルクの市街地は、おそらくこんな風景だった⤵︎
*フリー画像お借りしました
左上の小さく写っているお城で夜、クラシックコンサートが開催され聴きに行った。
ウィーン、ザルツカンマーグート、ドイツのローテンブルク、ハイデルブルク、ミュンヘン…他にも色々な町を訪ねたのに何故かこの風景が忘れられずに夢に見る。
追憶でも愛惜でもなくただただ夢に現れるだけだ…
* * * * *
油絵を描く母は何処に行っても熱心にスケッチをしていた。
"ヨーロッパよりチリやペルー、トルコの方がいいわね?"
と歴史や伝統、洗練された石畳の街並みより異国情緒溢れていてエスニックな街を好んだ。
何もかも正反対で仲は良くなかったのにワンコ、読書や絵画が好きな事だけは似ていたんだ…
ジャーマンシェパードを連れたおじい様が公園を散歩していて、英語で話しかける母を横目で見ながらシェパードを触らせて貰った。
"いつも恥ずかしがってもじもじしてあなたは駄目ね…?"
と母が会話に参加していない私に言う、そんな事をいつまでも覚えている。
それから数年後、同じ場所を訪れて同じ風景同じアングルで写真を撮ってプリントアウトした。今、アルバムに並べてファイルしてある。
後に撮った写真には勿論母の姿はない。
またいつの日か、同じ風景の中で同じアングルで写真を撮る日が来るのだろうか…?
二度と戻らない日々…確かに美しい記憶の時間の中で。
良くない時も良い時も更に更に積んどく。
*皆さま、どうかご安全にお過ごしください
*読んでくださった方、いつもありがとうございます