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デオキシス・オフェンスフォルム

1年前くらい僕はファンのひと数人の髪を切ったことがある。インスタライブしてたら髪の毛のこだわりを聞かれて、ずっと自分で切ってるから特に無いって所からじゃあ切ってくださいって言われてお金貰えるならいいよって流れ。友達の髪とかも切ってたからいけるやろと思って了承したものの結局資格もないのにお金もらって髪切るのは犯罪やった。でも一回良いよってゆっちゃったしそのとき連絡くれた数人だけお菓子とかタバコ買ってもらって切った。川とか公園で。ホテルもあったな。変に情を持ってしまうからもうせんとこうと思った。川で髪を切った帰り通りに手相占いしてるおばちゃんがいたから手相を見てもらった。2、3秒手をライトで照らされてすぐ、右脳と左脳が良いバランスやって言われた。笑った。うだうだ言ってるけどあんたは長生きするから大丈夫って言われた。3年前京都の王将で横の席になったおばさんと簡単な会話した後に言われたことと一緒やった。右脳と左脳の話。僕も思ってたことやから、まあせやろなって思った。その王将のおばちゃんはヌードデッサンの先生してるって言ってた。オシャレでかわいいおばさんやったな。王将全然似合ってなかった。

僕は占いにはパチモンもあるけど、ホンモンもあると思ってる。まずパチモンがあるのはそらそう。インチキとか、やってる本人も信じちゃってるとか。この類にその席が存在することは自明。ただホンモノがあってもパチモンがあるなら、全部信じれないじゃんって話よな。そこは人と人、その場の流れや雰囲気で信じるかどうか。そんなんめちゃくちゃやって、いや、それはいつだってそうでしょう。
占いに限らず、僕らは信じる根拠なんてないけど信じてる。いつもと同じ道を辿れば学校があると信じてるし、友達は明日約束した場所に来ると信じてる。今日寝て明日起きた時デオキシス・ディフェンスフォルムで起きるはずが無いと思ってる。そこに絶対的な根拠は無い。僕たちが信じていることはすべて、「今までそうだった」からだ。「科学」はただの「経験則」で、そこに「再現性があると決めつける」ことが、あなたや僕にとっての「信用」だと思う。

よく占い信じるの意外、とか、占いとか信じてるんやって言われる。そういう人に対してはとても、非「科学的」やなあと思う。
そういう人は、科学が経験則に過ぎないことをしらない、または、占いが経験則だということを知らないのどちらかじゃないかと思う。手相なんて分かりやすく統計学だ。手のシワというしょぼすぎるアイデンティティなだけで、盛ると外国人の性格に偏りがあること、もっと盛るとライオンは凶暴だったりすることと同じだと思ってる。星占術なんかただの内科の逆だ。僕らの身体の動きからこれからの身体の中の細胞の動きを予測するように、星の動き方等から星の細胞である僕たちの動きを予測するようなものだ。昔は占いが政治に利用されていたのも、初期の科学の発展のようなものだと思っている。もちろん占いには形に見えない不明瞭なものが多すぎて、科学とは出力できる画素が違う。玉石混交なのは当たり前だが、玉は凛として存在していると思う。

海は月の引力で波を立てるし、世界の均衡を保って疫病は流行る。いつだって感覚に理屈は追いつかないしそのギャップは魔法やインチキみたいに見える。感覚を広げては身体をズラす。この反復。あえうえい。

俺はデオキシス・オフェンスフォルム。今日の服いつもよりダサいね。大丈夫。うだうだゆってても長生きする。

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