校庭カメラガールドライ「Dawn by Flow」を聞いて失望した話

私の一推しであった「ののるるれめる」(今は朝比奈るのという名前でグーグールルにて活動中のため、以下るのちゃんと呼称。詳細は以下のリンクより)がかつて所属していた、校庭カメラガールツヴァイが、現在では校庭カメラガールドライになって、活動を続けているわけですが、それが最近(注:筆を執ったのは2018年11月30日です)、1stアルバム、「Dawn by Flow」のトレーラーをひょんなきっかけで聞いたんですよ。
先述の通りるのちゃんが所属していたものの、新しくなってからは昔を思い出しちゃうんで、いままではあまり正面から聞けなかったんですが、今回のアルバム聞いて、正直失望しました。

細かいところでは、校庭カメラガール並びに校庭カメラガールツヴァイは実はアルバムの数え方を統一していて、ツヴァイ解散前のアルバムは3rdアルバムだったのに対し、新作を(ドライとしての)1stアルバムと数えるところ(New Way of Lovin’の時にもおんなじことを思ってました。)とか、tapes talkというイベントでツヴァイ解散のことについて語るといいながら殆ど答えが無かったくせに、「harbor」という曲の中で「過去に生きるやつ 囲んでキル」というラインを書いたこととか気に食わないんですが(まともに供養されなきゃ、怨霊になるしかないじゃないですか。ちなみにイベントの件は今でも詐欺だと思ってます)、その個人的な感情を差し置いて、公開されたのがトレーラーであることを加味しても、その楽曲群には肯定できない構造的問題がありました。
まず曲をざっと聞いたときに、新しいフロウ感を取り入れているように思えましたが、それがあまりにも自然・普通で(裏を返すとメンバーのスキルの高さの証明でもありますが)、楽曲も相まって非常に「カッコイイ」作品なんだろうなとは思いましたが、今まで僕がコウテカに感じていたものが徹底的に欠落していたんです。

そもそも僕にとって、音楽に限らず一般に愛好するものかどうかを決める基準として「畸型的」か否かというものがあります。(勿論、この単語は生物学における先天的な異常のことを指しているわけではありませんし、そういった特徴をもつ如何なるものをも揶揄する目的で言っているわけではございません。)「畸型的」という考えをもう少しかみ砕くと、何かオルタナティブであったり、通常的な発想からしたら、異端として下に見られるような要素がある雰囲気を指しています。その考えに則ると、校庭カメラガール並びに校庭カメラガールツヴァイは、多分に「畸型的」で、それがゆえにとても魅力的だったんです。いわゆるアイドルラップで、ららちゃんやるのちゃんといったお世辞にも「カッコイイ」声質ではない人たちを、DnBなどのハウスよりの音楽にうまく調和させていたことこそが、アイドルやその他エレクトロ界隈と照らし合わせても異端的で、唯一無二の魅力を放ってました。

それと比較すると、今回のアルバムの楽曲は、もともとのメンバーの声的な適正に合致するように誂えたようにしか見えず、極めて凡庸に映りました。メンバー(とくにたらちゃん)の努力はすさまじく、そのこと自体を否定する気は全くないのですが、僕にとってのコウテカは、そういったアイドル的な魅力と楽曲の巧緻さによって、どちらに対しても斜に構えて自由にできる存在でしたので、それがいよいよ消え去ったな。と思いました。ただ、一つだけ付け加えるなら、これまでのコウテカ(初代とツヴァイ)のメンバーではあのようなクオリティの曲はスキル的に作れなかったとは思います。そのくらいクオリティは高いです。

最後に、唯一無二の僕の愛したアイドルラップグループから、何も知らずにyoutubeのミックスリストでもし聞いたとしたら、すぐにスキップするだろうウルトラアイドルラップコレクティブに変容した校庭カメラガールドライの、今後の益々のご活躍をお祈りします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?