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【オシカ】それでも君は"推し"で戦えるか?【アンチテーゼ】

お久しぶりです。

元OSICAマクロコーチです。

皆さんOSICA、やってますか?

私は県内で唯一箔押しを取ったことがないが故に山梨県の有名プレイヤー達に迫害され続け、精神を病んでしまったので現在はパチンコ屋に疎開しています。

疎開先では押し順ナビに沿ってボタンを押すだけで女の子から褒めてもらえるのでとても幸せです。

それはさておき今回は『推しで戦うカードゲーム』という素晴らしいキャッチコピーを掲げたオシカが生み出す大きな闇について書いていこうと思います。

※27歳 男性 会社員

オシカというカードゲーム

誤解を招かないように先に書いておきますがオシカは割と悪くないゲームです。

カードを重ねて点を取り合うという根幹の部分にプレイヤーの運以外の要素が介在せず、引いたカードの取捨選択にプレイングが入り込んでくるので、慣れていない人でもウェイチンポソイヤ限凸ワイパーだけでゲームを完結させることができます。

ある程度慣れてきたらルール上強い配置や凸の持ち方、デッキ構築などのやり込み要素に手を出していくことで勝率もある程度は追いついてくるでしょう。

1点あたりの消費リソース量を考えたり、対面のカードプールから見たターン毎の打点とコストの比率だったり、それ以外にも配置とコンバットを合わせてゲームの質を変えるだとか結構考えることは多いです。

もっと言えば交流会で勝てば数万円との引換券ももらえますし、モチベーションも高く保ちやすい部類のゲームではないでしょうか。

なのでオシカ自体はカジュアルに遊んでも良し、やり込んで勝ちを狙っても良しの割と悪くないゲームだと個人的には思います。

カードパワーの格差社会

オシカは悪くないゲームだと前述しましたが、この項目では少し横道に逸れてカードゲーム全体に付いて回る普遍的要素の話をします。

それはカードパワーの格差についてです。

大前提として、どんなゲームでも強いカードと弱いカードは存在します。

オシカで言えば1コストのカードで自ターン5000と相手ターン5000の2種類が該当します。

オシカのルール上点を取る行為にはチャージやストップ等のテキストで点を取る方法と限凸で点を取る方法の二つがあり、前述した2種類のうち後者はテキストで点を取る方法に強いと言った明確な強さがありますが、前者は逆にテキストで点を取るカードに弱いといった欠点があります。

面が取れる=点が取れるではないこのゲームで両者とも自発的に点を取るテキストを持っていない以上、相手の打点を抑えられる可能性がある後者は前者より"カードパワーが高い"と大半のデッキでは評価されます。

ただこれも"強いカードを正しく積んで強いデッキを作る"というカードゲームの醍醐味である構築の根本に関係する大事な要素なわけで、カードゲームでは当たり前のことと言っても差し支えないでしょう。

短いですが、以上がこればっかりは仕方ないねという話でした。

漏れの推しがこんなに弱いわけがない

話を戻して次はオシカで特有の、というかオシカで顕著に表れる問題点についての話です。

それは特定の女だけ弱すぎ問題です。

前項でカードにも格差が存在するという話をしましたが、これはその延長線上の話になります。

オシカは基本的に一つのネーム又は特徴を使ってデッキを作ることを前提としてカードがデザインされています。

そのためストップやチャージ等のメインギミックは差別化のために分別して配られますし、逆にある程度のカードはたとえ弱くてもネームの都合上デッキに積まないといけないなんてことも少なくありません。

そこで疑問として挙がってくるのが"弱いテキストを配られたネームは一体どうなるのか"という点です。

答えは簡単で"組めない"です。

正確には組めるけど相手にならないか、推しのデッキか問われるとアキネイターの部分的にそうみたいなデッキになります。

とはいえ最近は社会保障の一環として無いと話にならないカードは配られるようになったので、多少は格差が是正された感じがします。

ただ4コストで7k、2コスト5kに有効打点がある女がいるように明らかに枕で勝ち取ったとしか思えないテキストも存在するのでまだまだ先は遠いのかもしれません。

心の中のカードゲーマー

長い前置きになりましたが最後はこのゲームが生み出す深く暗い闇についての話です。

その闇とは"心の中のカードゲーマー"を呼び覚ましてしまうことなんです。

端的に言うと強い女しか使わなくなります。

これはワンピースカードゲームでもあった事例で、人畜無害そうな彼も、大学生柔道部の彼も初めは好きなリーダーで楽しく遊んでた筈なのにいつの間にかtier1リーダーしか使わなくなってしまいました。

五等分の花嫁のサプライで統一していた穢れなきオタクは心の中に巣食うカードゲーマーによってはっちCSのスリーブを使ってオラつく汚れたカードゲーマーに変貌させられてしまったのです。

そうなってしまってはもう推しもクソもない、リゼロで先バレが来るまでスマホ弄ってるおっさんと同次元の存在になったと言っても過言ではないでしょう。

もちろん悪いことではありません。

寧ろ強いカードを使った強いデッキで勝つことは大会に出るカードゲーマーとして正しいことです。

逆に遊戯王やデュエルマスターズの大会でドラゴン単みたいなデッキ使ってる人がいたら、ドラゴンカーセックスフェチの変態かクスリやってるかの二択に絞って良いくらいです。

言い過ぎました。

ただオシカは"推し"で戦う"カードゲーム"です。

参加者の半数近くが吉田優子とリリスを推しているとはとても思えません。

つまりほぼ全員が3面チャージ9000とダブルとクリティカルとスルーというテキストしか見ていないということです。

私はキリストほど厳しくはないのでこいつらでシコったことのある者だけがデッキ使いなさいみたいなことを言うつもりは全くありませんが、流石にキャラゲーとしては分布が偏りすぎています。

これはオシカというカードゲームとして正しいのでしょうか?

目を引くような強いカードがなくても、形骸化したデッキという名の紙束でも、"推し"で戦い続けることがオシカなのではないでしょうか?

しかし"推し"で戦い続けた先で待っているどうしようもない差を感じた時に、心の中のカードゲーマーに支配されないオタクがいるかと問われればYESと答えられる自信はありません。

"推し"と"チカラ"は多くの場合で二律背反となり得るのだと私は考えます。

小林ちひろを救うためにキモオタ衛宮切嗣になることも、リリスを握って競技プレイヤーイスカンダルになることも、どちらも等しく正義だと言えるでしょう。

切嗣になった場合はtier1を握って入賞したら推しのデッキにミサイルを打ち込んで爆破する未来が待っていますが。

最後にどうかこの残酷なカードゲームの命が潰えるその日まで、会場で咆哮したりぬいぐるみやアクスタを持ち歩くような本物のキモオタが"推し"で戦い続けることを遠くのパチ屋から祈っています。

それでは。

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