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インドの一年でいちばん有名な祭り(ディワリ/DIWALI)

はじめまして、私は今、ミサオというインスティテュートのマネージャーと日本語講師ヒマンシと申します。インド出身で今、デリーに住んでいます。日本語が大好きな私は今日から自分のブログを始めます。皆さん今日からよろしくお願いいたします。

ブログは初めてなんですけど、正直に言うと友達のゆりちゃんを見て書く力が出てきました。

自分の日本語の経験からインドの素晴らしさまで全部書きたいですが、今日は(10月-11月の間)にあるインドの一年の一番有名な祭りについて書こうと思っています。

皆さん、インドでは神様が何人もいますが、ディワリ (DIWALI)祭りはその中の一人の神様の話です。

昔々、ラーマ(RAM)という神様が人間として地球に生まれました。ラーマ神様はアヨデェアー(AYODHYA)という群でダシュラット(DASHRATH)という王様の息子として生まれました。

ダシュラット様の婦人は3人でラーマ様の他にも腹違いの弟が三人いました。ラーマ神様は頭が良くて、勇ましかったのでお父さんから皇位を継承しました。ラーマ神様はいつも自分の王国を公正に治めていました。そして17歳のになってから、シータ(SITA)という超綺麗な王女様(女神)と結婚しました。

養母のお母さんと弟と一緒に全員宮殿に住んでいました。でもダシュラット様はラーマ神様に対して超優しかったので、第二の婦人はいつもそのことに羨ましく感じていました。嫉妬していた一番大きいな理由はラーマ神様は宮殿にいる限り、第二の妻の息子は皇位を継承できないことが分かっていたからでした。

したがって、第二の妻は不安で政治を始めました。彼女はラーマ神様の14年ぐらいの追放の依頼を旦那様にしました。でもダシュラット様はそんな依頼を聞いてびっくりしてしまって、どうしてラーマ神様が(そんな好きな婦人はこんなこと言っているか)が絶対にわかりませんでした。こんな依頼を引き受けられないダシュラット様は直接に断りました。でもラーマ様が分かった次第、第二のお母さんの命令に従うことにして、亡命しました。

ラーマ神様は妻と絶対に離れたくない人の弟を連れて森に住み始めました。14年ぶりの激しい藻掻くの後、ラーマ神様は妻と弟を連れてアヨデェアー(AYODHYA)に戻りました。

何年もラーマ神様がいなかったアヨデェアー群にラーマ神様が帰りのニュースを聞いて王国の人々は盛大にその日をお祝いことにしました。そしてその日はディワリという祭りとして知られています。王国の人々はその日には、蝋燭に火をつけて、全宮殿を明るくにして、王国の平和をお祈りしました。

我々も同じようにディワリの日は、蝋燭に火をつけて、自分の家を明るくしています。この日に皆、新しい服を着てて、神様に心を込めて持ち家と自国の平和をお祈りしています。

準備として一か月前から、家の掃除とかし始めて、壁を塗ってもらいます。ディワリ の日は近所の人にお菓子を挙げる習慣もありますので、それもディバーリまで準備しておきます。

我々はディワリの日は神の愛は生きている人々の中に平和、繁盛と幸福な生活を送ることを信じています。

以上です。

今回はインドの一番有名な祭りについて書きましたが、これからは自分の日本語の経験についても書こうと思います。

読んでくださった全員の方にありがとうございました。


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