僕がアジャテに入るまで

「リーダーが竹が好きで、埼玉の村に住んでて、アフロビートバンドやってて、和太鼓がいて、フランスにツアーとか行ってて、楽器手作りしてて、10人くらいメンバーいて、その中の1人がインドネシアにいて」
情報量が多すぎるな、って思いました。


2019年の1月くらい。ショーパブで和太鼓を打ったりダンスをしたりしてた僕は、口下手な先輩である雅楽丸ことスーサン(以下スーサン)から休憩時間にそんな話をされました。

待ってくれ。コナンの謎解きを説明するページくらい情報量が多い。アフロビートとはなんだ。パパイヤ鈴木とかスキマスイッチのアレか。

どうやらスーサンが、ネットで和太鼓奏者募集の記事を見て参加することになったらしい。
演奏動画を見せてもらっても、よく分からない。

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鮎を食うスーサン


最初話を聞いた時は「ふーんそうなのか、スーサン頑張れ〜」くらいに思ってました。

自分自身、和太鼓奏者としてどうしていこうかなあと考えてた時期でもあり(まあ今もそこは変わらずですが)、新しいことを始めるスーサンの勇気は素敵だなぁとか、僕も和太鼓のワークショップ始めた時期だったので負けないように頑張るぞう、とか考えてました。


すると後日、和太鼓奏者をもう1人探しているんだが、シンサン(僕のことです)どうだい?と誘いを受けました。
スーサン曰く、とても良い人たちで、音楽も新しい。かつシンサンの技術ならすぐに溶け込めるよ、と。

ふむ。他でもないスーサンの頼みだし、一度遊びに行ってみるのも刺激になって良いだろう。
もし気に入ったら、サポートメンバー的な感じで、自分のことと並行してやらせてもらえれば良いかな。
まあ物は試しだ。そう思った自分は、高田馬場のスタジオに遊びに行きました。


リーダーのジョンさんから挨拶を受けて、少し緊張しながらスタジオに入りました。
「なんか適当にやってみて!」
よくそういった役回りはしていたのであまり抵抗なく、とにかく思うように打ってみました。
「最高じゃん!もっとこういうのはできる?」
ジョンさんに言われて、なんとなく感じるがままにやってみました。
「最高じゃん!」

どうやら最高だったようです。良かった。


リハーサルを終え、打ち上げの居酒屋で自分の話をしたり、アジャテの話を聞いたりして。
この時点で「あ、これ楽しいな」と感じていたし、バンドサウンドの中で和太鼓を打つ経験がほとんど無かった自分にとって、これは成長の機会になるなと思い、参加してみようと。
そして村に合宿しに行って曲を練習して、まずは3月の演奏に出てみよーという話になりました。

合宿当日、行きの車の中で女性のボーカルPEPPERMINT.Uことうっちーさんから曲の詳細を聞きながら、着いた先はジョンさんが住む東秩父村。

もちろん曲の練習をして、終わった後はみんなで囲炉裏を囲みながらいろーんなお話をしました。


その中で忘れもしない話があって。


この時点で、アジャテにはギターがいませんでした。
サポートで入ってくれてる文ちゃんが協力してくれていたものの、本メンバーではないと。
アジャテはかなり特殊な音楽をやってるし、ただギターが弾けるだけではなくて、グルーヴが合う人が良いよねーとか色々。

僕が黙って聞いていると、話を振られました。
「まあとは言え、和太鼓も他に良い人いたりしないですかねぇ〜」
そんなことを言ったらジョンさんから一言。


「あ、和太鼓はシンサンで大丈夫」


大丈夫だったようです。


かくしてアジャテの正式メンバーになった(なってた)僕は、そこから1年、こうして活動を続けているわけです。


こう書くと強制的にやらされた感がありますが、勿論そんなことはなくて、言われた時にめちゃくちゃ嬉しかったし、メンバーになれて本当に良かったと感じています。


アジャテに入ってからのお話はまた後日。

アジャテのMV、アルバム「ALO」より「GALAR」

https://youtu.be/3Bnjpx0TG9w

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