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第十七回 ヒマなん句会 FINAL!!「ヒマラヤ地」発表!!


Twitter@himahira19で行っていた句会の結果発表の三日目です。

いままで何となく四句選んでいましたが、「ヒマラヤ苺」同様、多めに選ばせていただきました。最終回ですしね。好きにやります。
それでもやっぱり悩みぬきましたとも!
「苺」と「地」と「天」を行ったり来たりする句がいっぱいで、相変わらず基準は自分の好きな句なものですから日によって体調によってすぐ変わるんですよ。まったく不動の句ももちろんありますが、句会なんかでこういう幸せな悩みに苦しんだことありませんか?そう、アレアレ!!


悩みぬいて決めました!!「ヒマラヤ地」はこの句です!!


ペンキ屋に曾孫七人ソーダ水 卯月紫乃


「曾孫」とは、子の子の子。 子の孫。
その内訳はわかりませんがまぁおチビちゃんがいっぱいいることでしょう。不思議なことに同じ血縁なのにみんな性格も顔もちがうおチビちゃんたちに、作中主体である「ペンキ屋」の現役のじいさんが、煙草をくゆらせながらひょっとしたら何か絵を描いてあげているのかもしれません。
兼題写真のあの青空になんと微笑ましい光景でしょうか。そして季語「ソーダ水」の清涼感が、この「ペンキ屋」のじいさんと、「曾孫」の楽しくも良好な関係も表れていると思いますし、兼題写真のスカッとした青空の清々しさがよく合います。気持ちいいですよね。季語の力とはこのことか。
そんなことを考えながらこの句をさらにゆっくり考えると、ひょっとしたら真の作中主体は、じいさんとちびっ子七人が楽しく映っている記念写真を眺めている、大きくなったひまごーズのひとりかもしれませんね。
大きくなって、部屋を掃除していた時にひらりと出てきた一枚の写真。
もうひょっとしたら「ペンキ屋」のじいさんはもう鬼籍に入っているのかもしれません。
じいさんやひまごーズと楽しく過ごした郷里の楽しい思い出を、
「ソーダ水」を飲みながらしんみり思い出しているのかもしれません。
季語「ソーダ水」はそういう時間も想像させる季語なのかもしれませんね。



新品のサクラクレパス風光る でんでん琴女


以前から「クレパス」とクレヨンって、何が違うのか疑問でした。
調べてみると、クレヨンはクレパスに比べて硬いので細い線を描く時にはクレヨンが向いてるみたいです。
『クレパスは面をむらなく塗るのに向いています。 クレパスはクレヨンに比べ柔らかいので、画用紙上で色を混ぜやすいです。
色を重ねて塗る時に下の色を隠しやすいのはクレパスです・・・。』
という事らしいですな。細さ固さ順だと、クーピー→クレヨン→クレパスという事みたいです。なんだかドラクエやFFの呪文みたいですね。
新しく買ってきた「サクラクレパス」は、きっと画用紙いっぱいに空を描きたいのでしょう。そのために新しく買ったのかもしれません。
兼題写真の街並みを描くならムラなく塗れるということですし、細かくい書き込むよりもどかーーっと大きな大きな画用紙に、好きな色を塗っておおざっぱな絵の方が表現できそうですね。
昔のCMにひたすら紙いっぱいに黒を塗る子供を、親は心配になりつつも見守っていたらたくさんの黒塗り画用紙をパズルのようにあわせるとでっかいクジラが描けましたというのがありましたが、あの街を描くにはまさにあの手法がピッタリです。
商品名である「サクラ」がついているのは、兼題写真から遠い遠い国の日本からを想像させ、季語「風光る」は素晴らしい絵の完成を思わせてくれるようです。「クレパス」の溶けあう一枚の絵は俳句のようでもありますね。



どこでもドア製作所は閉所…朱夏 丁鼻トゥエルブ



「・・・」の是非はあるとは思います。空白でもいいんじゃないか等。
けれどもこの哀愁は一体何なんでしょう。
「どこでもドア製作所」といういきなりキテレツな場面設定が出てきます。この世の八割の日本人が憧れるであろうドラえもんのあの道具です。ボクも欲しい。
しかしながら「ど製作所」は夏に閉まってしまうようです。バカ売れ間違いなさそうなのに・・・。内容としてはただそれだけなのです。 
そこでこの「・・・」がじっくり大いに効いてきます。
「ど製作所」の所長の苦悩、所員の想い、「どこでもドア」の現ユーザーは今後故障したらどこへ修理を依頼すればよいのか・・・。
もう「どこでもドア」には逢えないのでしょうか。
ドラえもんのいる未来の話なのかもしれません。
2112年の日本では場所もあまりとらない「ど製作所」は乱立していて、
弱小メーカーはすぐにつぶれてしまうのか、はたまた近頃は『ソノウソホント』の汎用性に注目され、「どこでもドア」に需要が無くなってしまっているのか・・・。
日本は何年たっても押し合いへし合いしてるのでしょうか。
実はいろんな思いが「・・・」に込められていました。
季語「朱夏」の艶やかでどこか物憂げな季語の斡旋が巧みだと思います。
俳句という「どこでもドア」は、2112年という未来へまで連れて行ってくれました。『タイムマシーン』機能まで兼ね備えているのですね。

     


産声は世界に色を与え夏 このはる紗耶


電車で赤ちゃんや子供がギャン泣きする声をよく聞きます。
母親は申し訳ない顔であやしているのですが、周りはいかにも迷惑そうな顔をする者、自身の経験から気の毒そうな顔をする者や微笑む者、アカの他人のクセに変な顔をして笑わせようとするお調子者。
しかし大体の人は我関せずな表情をしています。そんな騒ぎの中人間ウオッチングをしているのはボクくらいかもしれません。
母親が子供をあやす声が次第にきつくなっていったり、祈るようになったり、淡々とし始めたりしていきますが、この句をいただいてハッとしました。見知った者のいない電車や町中では、よっぽどの人でない限りそれぞれ目的地へ無表情で向かってゆきます。その光景は白っぽい灰色です。
そこで赤ちゃんが大きく泣けば、母親にもその辺にいる人にも表情という「色を与え」ているように思えたのです。電車や町では人によっては好まざる「色」かもしれませんが、色んな思惑もそれぞれ「色」です。
そんな事を考えながらふと気づきました。「産声」ですし産院で聞こえるのでしょうか。
よっぽど事情がないかぎり、そこでの「産声」は明るい色ばかりとなるでしょう。兼題写真の眩しい光景のように明るい顔がたくさん浮かんできます。場所を選ばず、未来を託す赤ちゃんの「産声」は、たくさんの開放的な笑顔という「色」を振りまいてくれるのですね。
赤子というくらいですから「赤」っぽい色ですかね?
季語「夏」の解放感のある季節も兼題写真と相まっていて、各季節あてはめると「夏」には希望も生命の力強さも含まれているようで、ナイスフィットだなと思いました。



ありがとうって言えば終わっちゃうよ青春 里山子


あちこちで「ヒマなん句会終わります!ありがとうございます!」と言いまわっています。専用アイテムまで作りました。
ヒマなん終了はサヨウナラではなく「ありがとう」でした。
皆さん忙しいのにこんな駄文楽しんでいただいていやはや恐縮です。
皆さまの感想文や投句の備考欄にも謝辞がたくさん書かれていました。
さすがにボクはいい年ですし、ヒマなん句会を「青春」でしたと言う気はさらさらありませんが、俳人人生としては一つの「青春」時代かもしれませんね。
さて、この「青春」です。定義は人それぞれですが、よほど特殊な人生を送っていない限り、振り返ればあの頃だと思うものだと思います。黒歴史だったり、楽しかったり、恋愛したりされたり。
この句のような破調、まとめる気のサラサラないような字余りの勢いはまさに「青春」そのもの。どんな思い出でも笑って話せるようになるのが、所謂大人になるという事なのかもしれませんね。
ボクは「青春」を題材にした句でここまでストレートに熱く表現した俳句は他に知りません。
季語は「青春」で、一応春の季語ではありますが歳時記の示す意味のニュアンスとこの句の「青春」とはボクは違うと思います。
ですのでこの句は無季の句として読みました。
ではいつの季節かと問われたらそれぞれ皆さんの中にある「青春」と聞いて思い出される季節が、それにあたるのでしょう。
ヒマなんに対する挨拶句でも、「青春」を切り取った句ととらえても、
まさに絶唱と呼ぶにふさわしい句ではないでしょうか。
ボクにはこういう句を詠める気が全くしません。なんという句でしょうか。

それにしても熱い熱い一句だなぁと作者を見て納得しました。
この子にとってこの句は平熱なのです。
きっとこの先どんどんいろんなものをぶっ壊して自由に飛び回ってゆくことでしょう。

これにて「ヒマラヤ地」は以上になります!
画像を提供してくださった、卯月紫乃様が選んでくださった
「紫乃っ地」三選を発表しちゃいます!


フィヨルドをシセルの唄と夏の霧 千代 之人


シセル・シルシェブ、ノルウエー、ベルゲン出身の歌手とのこと。
この御句のお陰で知ることができました。歴史的建造物の美しい街並みで有名なベルゲンのご出身、非常に透き通った美しいお声の方であります。
そして、ノルウエーといえば、フィヨルドを外すことはできません。1,700を超えるフィヨルドがあるそうです。
なかでも有名なのが、ベルゲンからフロム鉄道でフロム駅に向かい、遊覧船で巡ることができる「ソグネフィヨルド」です。
私たち夫婦がその遊覧船に乗ったときは、まさに霧の中。なにせ、天候が非常に変わりやすいので、なかなか晴れません。そんな霧の中であっても、次々に現れる光景に目を離すことはできませんでした。
今回のノルウエー・スタバンゲルの街並みの写真から、ベルゲンに発想を飛ばし、フィヨルドシセルを御句に詠みこまれたこと、そして、季語を夏の霧となさったこと。素晴らしいと思いました。
丹念に練り上げられた、見た目にも、音としても、意味としても美しい御句を詠んでくださってありがとうございます。地にいただきます。


なにもかも捨てて白夜のジンライム  太平楽太郎


季語、白夜。

百夜(仲夏)・時候
北極圏(南極圏も)をはじめ緯度の高い地域で、夏至の頃に日没から日の出までに時間が短くなり、夜になっても十分に暗くならない現象。「知床旅情」に白夜が謡われているが、日本には極地のような百夜はない。近年では、北欧などの海外詠で詠まれることが多い。俳句では「はくや」と読むのが一般的。
                    新版・角川大歳時記「夏」P.58

ノルウエーは、北部地方が一部北極圏に入ります。具体的には、ロフォーテン諸島以北でしょうか。まさに、ノルウエーだから詠める季語をしっかりと使われたことに、まず惹かれました。
そしての、ジンライム。私、お酒好ですが、なかでも、ジン、特にジンライムは相当好きです(笑)白夜のジンライム、たまりません。
人って、たまに自分が置かれている環境や、自分自身に嫌気がさしてしまうことってあります。何もかもすててしまいたい、って気持ち非常に共感いたします。でもね、それは、日々を懸命に真面目に生きているからこそ、とも思うのです。そんな日があってもいいじゃないですか! 翌日には(日の入りも日の出もないけれど笑)しっかりと再び自分を歩み始める主人公が見えます。
きっちりとした有季定型、簡単な漢字とひらがな、カタカナから成り立つ御句。音読も非常に心地よく、とても私の好みであります。詠んでくださってありがとうございます。地にいただきます。



ペダルから足を放して夏に入る げばげば


スタバンゲルのカラフルな自転車置き場、からのペダル
自転車を詠みこむ句は、あまたあると思います。私もいくつか、サドルで詠んだ経験があります(笑)
こちらの御句のオリジナリティは、ペダルから足を放す景だと思います。
私は、瞬時に三つの光景が浮かびました。

1:スポーツサイクルに乗る少年が、フロントブレーキか、シフトレバーの上に両足をまげて(体育座りのように)乗せて坂道を下る様子。

2:セーラー服の女生徒が、膝を伸ばしたまま両足を左右にぱっと広げ、風を食べるような笑顔で、草原の中の坂道を下る様子。

3:付き合いたての男女の二人乗り。ともに、2と同様に足を広げて、川べりの土手の坂道を下る様子。

やたらと具体的ですが、まさに、夏に入る溌剌とした光景です。若いっていいなあ~~、であります(笑)
このキラッキラ感にすっかり虜になりました。詠んでくださってありがとうございます。地にいただきます



本日はこれにて以上です!

明日は最後の「ヒマラヤ天」予想の日!


さぁどの句が「ヒマラヤ天」でしょうかね??ぜひ予想を!!
お楽しみに!


第十七回 ヒマラヤなんちゃって句会    FINAL!!

「ヒマラヤ苺」等々発表!!
「ヒマラヤ龍」発表!!
「ヒマラヤ天」発表!!

ヒマラヤなんちゃって句会 アーカイブ
俳並連1st句集 「ふんわり」
恵勇先生の俳句小説シリーズ! 
「ほんとはね」 ヒマラヤで平謝り

選句 本文 編集/ヒマラヤで平謝り 
兼題画像/卯月紫乃    
SpecialThanks/髙田祥聖 カニくん


お試しで作ってみた項目ですので、本当にサポートしていただかなくてもいいのですが、万が一なんとなくそんな気分でしたら・・・!