伝える伝わる

私には、応援してるアーティストがいる。
神戸を拠点に活動しているというアカペラパフォーマー
【シュガーズ】という男性5人のグループ。


好きなアーティストいるの?と尋ねられ、「います」と答えると更に尋ねてくる人がいる。


『どこが好きなの?』と。


え?好きに理由必要なの?と内心思いつつ
そんなん知るか、私の中の誰かが好きって言ってるんだから、理由それで良くない?
神からのお告げがあった!とか言えばいいのかもしれない…とか頭の中では考えてる。

ライブを観ていて楽しいとかは一旦、冷凍庫にしまって(後でレンジで温める、かもしれない)。
他のファンと呼ばれる方々に比べ、圧倒的に好きの理由を挙げられない自信はある。自慢にならないけど。

それでもなにかひとつ挙げるとしたら
【伝えなきゃ意味がない  伝わらなきゃ意味がない】
このグループが、自分たちのコンセプトとして挙げているこの言葉が死ぬほど好き…ということかもしれない。

別に応援してるアーティストのことを書きたかったわけではなくて、これを書き出す前にnoteに書き始めた内容が《五感に優先順位をつけるとしたら》についてで 、
視覚と聴覚、どっちが強いかなぁ~から津々浦々旅して参りましてココへと辿り着きました…。



…で、伝えると伝わる。
伝えるから伝わるのは、当然。
伝えなきゃ伝わらないのも、当然。
例外はあるとは思うけど。

ただ、たまに思うのよね。
《伝える》のが先か、《伝わる》のが先か…と。
伝えたから、伝わったが成り立つのか。
伝わったから、伝えたが成り立ったのか。
どちら側に自分が立つかで変わるだろうし、
こっちだ!と信じたい方も変わるとは思うんだけど。
それでも、たまに思うのよね。


《伝える》《伝わる》ってなんですか。


言葉とか表情(アーティストの名前出したから、ここでは音も入れておくか)とか、見聞きできるものに関しては、まだ「伝えた」「伝わった」「伝えてくれた」「伝わってきた」は分かりやすい方だと思うけど、
見聞きできないものを対象とした時、なぜかその問題は突然厄介者になる。


目には見えないものってあるじゃない。
耳には聴こえないものもあるじゃない。
言葉にならないものだって。
生まれつき、もちろん中途の方も含めて
見ることも聴くこともできない方がいて、言葉として表現することが難しい方もいて。
赤ちゃんが、目が見えるようになるまでは親の愛を感じられないのか?
動物は言葉が話せないから、人間と信頼関係は築くことはできないのか?
…そんなことないと個人的には思ってるんですけど…

赤ちゃんにしろ動物にしろ、身体に不自由ある人にしたって伝えてくれてる、こちらの想いは伝わってる、相手の想いもちゃんと伝わってくる…を感じられる。
見聞きできなくても、言葉にできてなくても。


《伝える》を形にできるのはすごいと思う。
《伝わった》を形にできるのもすごいと思う。
人間の伝える手段の第一位は言葉だろうから(そんなランキングあるのかは知りません)、全てを言語化できる人は心から尊敬するし憧れる。
ただ、それが全てではないとも思う。
形にできないものもある。無理やり形にして伝えたところで、たぶん伝わらないから形にしない選択をすることもある。

言葉が好きだけど、言葉にならないものをどれだけ大切にできるかで《伝えること》も《伝わってくること》も形(ここでは言葉の意)にした時の、重みも深みも増していくのかもしれないと思ったりもする。

伝えたいことを伝わるように
伝えてくれたことを全力で受け止められるように。
難しいけどひとつずつ大切に。


【伝えなきゃ意味がない  伝わらなきゃ意味がない】


それは私もたぶん一緒だ。


大好きな言葉がグループコンセプトのアカペラパフォーマーの《シュガーズ》は今日が3周年だそうです。
おめでとうございます!!
(冷凍庫から引っ張り出してからのレンジでチン!!)

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