自由という名のルール

世の中には規則とかルールと呼ばれるものがある。 
全部は分からないけど、きっと山ほど。
〇〇法とか呼ばれる、聞いてるだけで頭痛がしてくるようなものから社内規定、交通規則、学生であれば校則もそうだし、地域とか自治体レベル…
なんなら、各家庭にあったであろう《門限》なるものも立派なルール。
一番最初に教えられた?身につけた?ルールはなんだったっけ?
「右見て左見て、もう一度右見て、手を挙げて横断歩道を渡りましょう」とかだったかな…。
覚えてないし、我が家に門限あったかな…くらい記憶は曖昧だけど、それでもいつも何かしらのルールの下に生きてる。


学生時代を終えて、校則から解放された!と思ったら
社内規定なるものの下で働くことになって
交通規則の下で車を運転することになって(交通ルールは守りましょう。右折嫌い、左折だけで目的地に着きたい)開放された時は『自由だぁぁぁぁ』なんて思ってみたりするんだけど、そんな自由と呼ばれる時間は一瞬で過ぎ去って、次から次へと法だか規則だかルールだかに飲み込まれて現在に至る。それじゃ…


【自由ってなんだろう】


【〇〇の自由】本当に存在するんだろうか。
今、私が生きてるこの世界に。
呟き投稿できるSNSとかあるけど、そのSNSの中の世界は自由かといったら、たぶん違う。人によって【呟く】の意味も内容も捉え方が違うから、その時点で違う。
「今日はいい天気だ、やったー!」も呟きだし
「仕事行きたくない、サボりたい」も呟きだし
「あの上司、マジ嫌い。いなくならないかな」も
「意味わかんない。やってらんない」も人によっては、ある意味【呟き】
(仕事で嫌なことあったように見えるが、仕事大好き)

「自由に○○してください」も同じ。
小学生の時「自由に鳥の絵を描いてください」と言われて上手にかけた!って思ってたら先生が言った一言。
「上手く描けてるな。紙を縦にして描き直してみよう」
「自由に」の《自由》は自由じゃないじゃないか…
画用紙の縦横ルールがあるじゃない。鳥の絵は縦書きルールとかあるのか…


そうなんだよ。
きっと自由って大きな枠の中でのみの話なんだよ。
ある人の自由は、別の人にとっての不自由やマナー違反になっちゃって、私にとっての自由は、私だけにとっての自由であって、誰かにとってのマナー違反になる。
きっと自由って牧場にある柵みたいなもので、たぶん私たちは柵の中で暮してる牛。
のびのびと自由に暮らしてるように見える牛だって、
その柵の外に飛び出せば『脱走した』って問題になる。牧場でのびのびと暮らしてた姿からは想像出来ないくらいの猛ダッシュを見せるかもしれない。
それが本来の牛の姿だとしたら、ただ野生に返っただけの話なんだろうけど、柵の中でその姿を見せたら気性が荒いとか言われちゃう。自由にしただけなのに。
人間界も同じだなぁ…と思う。

その人にとっての自由は、下手すれば誰かの価値感で否定されたりとかマナー違反にされることもあるってことでしょ?自由ややこしいし、意味わからないし
そして今まで誰も教えてくれたことない…なぜですか。


【結論】
自由ってもの自体がルールとかマナーとかいう形で存在してて、私たちが普段使ってる【〇〇の自由】【自由に〇〇する】っていうのは、その《自由》というルールの中で、自分の価値感で選択行動するっていうだけの話。
まずはルールになってる自由を理解しないと、違反を続けることになり得る。


この世で一番難しいルールは《自由》
そして《自由》は怖い。

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