インターネットについて③承認欲求について

はじめに

「承認欲求を満たしてくれる」のではなくて「認知を狂わせる」ものであること、という話について書く。

発端

「刺身は白いほかほかご飯と合うのか」という話に「美味しいものはなんでもご飯が食べたくなる、刺身でご飯食べたくならないのは衝撃をうけた」という、「一般的に刺身が酒の肴としてつまみになってることも知らない価値観」にびっくりしたのでツッコミを入れたらどうも当たりどころが悪かったらしい

ご馳走じゃなくて普段寿司屋でつまみに食ってるだけなんだけど、なぜか「お前にとっては刺身が普通に食えないごちそうなんだな」とマウントを取られて爆笑しちゃった

フグも松茸もまずいってマウントとられてまた笑った

カラスミは「燻製」ではありません。食ったこと無いものでマウントとろうとするのやめーや

からんできたアライグマに言い返すと「呂布のくせに黄巾の乱をいじめるな」とか「ミュウツーのくせにコラッタにはかいこうせんを打つな」と言われて、全くその通りだなといたく関心したので「はかいこうせん」にあたる、いじめにしか見えないツイット群を消した。

そうするとコラッタが、ツイートを消したから逃げだとか色々言ってた。ただ、ここまで低レベルを相手にすると、なぜピンフスキーさんがピンフスキー流を編み出したのかがわかった。それが表題の「承認欲求を満たしてくれる」のではなくて「認知を狂わせる」ものであること。

振り返り

居酒屋飯を1000円に調整してgoto乞食してるような奴が、カラスミは燻製だとか、フグも松茸もまずいとか、それらの100点を追い求めて食ってる俺に講釈をたれ、満足いくまで反論に付き合えとかハンター試験みたいなこと言い出すのが、インターネットの歪みの原因なんだろうな。と思う。身の程というのは知らないと、ルサンチマンにしかなりようがない。

Twitterのよくない点は、相互フォローとかで得たフォロー数や、アライグマやら本物川やらの界隈のような、見かけ上は人よりマシでちやほやされるみたいな感覚が認知を狂わせるんだろうな。昔はこれを承認欲求を満たすと読んでたが、どうも欲求を満たしてるのではなく認知を狂わせてるんだと思う

多分だけど障害者雇用であることをアライグマの皮に入れ墨で彫らないといけないような個体は、俺からは想像を絶するような状況にあると思うんだが、そのくせネットでなら対等に人様と会話ができるという自負はどこから来るのだろう?人と話すことさえ満足にできないと、ほとんどの人がみなしそうだ、現実では。

インターネットの業

本来チャンピオンズリーグに出るためには、各地のバッジを集めてレベル60くらいはないと無理なのに、なぜかインターネットというワープが設置され、いきなりコラッタでチャンピオンズリーグにきて、はかいこうせんを撃たれて文句を言わないで欲しい。せめてカラスミとフグと松茸の一級品を食ってから俺にマウントとってほしい。

本物川でいうと、「ラノベの本を何冊か、同人ではなく商業で出版した」というのは凄いことで頑張ったとおもうのだが、それが売れなかった時に昔は「作家先生」という称号で適度にチヤホヤされたと思うが、インターネット以後の今だといつまでも監視されるという、昔よりもきつい状況で苦しんでるケースだと思うけどね。

現実は「売れなかったラノベ作家」くらいにしか見てくれない。比較対象がインターネットのせいで無限にあるし、なろうで書けよ才能があるというならと言われる。だからってVtuberになってSEKIROやって再生数100はちょっと・・・って僕も思いますけど。

認知が狂っちゃう原因は認知を狂わせないとインターネットで上位と比較され見られることに耐えられないというのもあるかもしれない。

たとえば障害者雇用も、障害者雇用の仲間同士とか、なんか自助グループとかだけの中にいれば、比較対象はせいぜい職場の正規雇用者くらいなので狂わずにすむが、インターネットでもっといろんな人と比較されたら狂ってしまう。だからアライグマの皮にコンプレックスの入れ墨をほってかぶっている。

皮をかぶったアライグマの群れからは、俺は「レイドバトルで倒したボス」に見えるらしい。レイドバトルというのは1人では勝てないボスに集団で挑むという意味で、すでにこの時点でコンプレックスに自我を潰されてるなと思うが。

インターネットは全てを変えたと思う。Iphoneを生み出した、Googleを生み出した。それらは全てに波及し、思想や哲学の根源すらも変えた。アフターインターネットの哲学はこれから作られるのだろう。



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