令和になって初期美味しんぼに説教する人たちについて

はじめに

これについて、「そのとおりだ傲慢だ、田舎に変化しないことを求めるなんて」とかいう言説がバシバシきて、いやいや脊髄反射し過ぎだろうと思った。

彼らは田舎のままであれなんて言ってない

「3年前はいい感じだったのに、思ってたんと違う」っていう愚痴をいうことは、「田舎のままあれ」という事なのだろうか?

「思ってたんと違うなあ、昔きたときは良かったのになあ」と愚痴を言うことは傲慢なのか?俺だって3年ぶりに行ったところが思ってたんと違ったら愚痴は言うのだが。

「ホテル建設を中止しろ」とか「ホテルを即刻閉鎖しろ」といった物言いを彼らはしたのだろうか?

彼らは「思ってたんとちゃう」観光地にいくのをやめて、「そうそうこういうところに来たかったんだよ」という別の観光地を探し求めるだけだ。

ひなびた高級旅館には価値がある

温泉旅行に行こうとすると、このような蟻塚のような格安ホテルか、その数倍の値段がするひなびた高級旅館かが選べる。

蟻塚のような便利なホテルは、Wi-Fiもついており、送迎バスも出ていて、一泊2万円というところだろうか。とても便利だ。

ひなびた高級旅館は、タクシーで20分かけないとたどり着けなかったりするし、電波が悪かったりする。一泊は10万とかする。とても不便だ。

だが、温泉旅行は便利さを求めるものではない。実際、高級旅館のほうが予約は格段に難しい。ピーク時の予約なんてとてもじゃないが取れない。それはそこに便利さではない「価値」があるからだ。

蟻塚ホテルで地元住民は便利にならない

資本ででっかいホテルが建ったからといって地元住民は便利になるだろうか?全くならない。せいぜい安い雇用が少し生まれる程度だろう。それよりも、格安パックで旅行にくる質の悪い観光客に悩まされることのほうがありそうだ。

では蟻塚のようなでかいホテルが建ったことで便利になるのは誰か?「格安の蟻塚ホテルでしか温泉旅行に来ることができない立場の人間」だ。

「そこに住んでる人も便利になっていきたいはずだ」っていう話と全然違う話で、「ひなびた感じで金持ちが喜んで泊まる高級旅館っていうビジネスの姿」がそこにはある。旅館業は「その地域に住む人の利便性」ではなく「それに金を出す人の質と量」に左右される

自分の頭で考えよう

そもそもからして、何十年も前のバブル期の漫画での描写を今になって傲慢だどうだと今の基準で断罪するような物言いはおかしい。「このときはこんな感じだったんだね」くらいに留めるべきだろう。ポリコレアフロじゃないんだから。

その上で、これがTLに流れてきたからと言って、そうだそうだと脳死して賛同してしまった人はSNSにむいてない。しかしまあ、SNSに向いてない人が世の中のほとんどなので、それはしょうがないことだと思うのだが。

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