インターネットについて⑥虚しさについて

「ジョーカー 考察」Google検索

現時点(2021年1月3日)で、「ジョーカー 考察」で検索すると1位にくる記事が2019年10月21日に書かれたこれだ。ざっくり内容をまとめると

・髪の色が黒く戻っている
・ジョーカーがウェイン夫妻の射殺事件について知っている
・時計は「11:11」しか指していない
・地下鉄で銃を打つときの装弾数がおかしい(6発を超えている)
・ハーレクインが出てこない
以上のようなあり得ない事柄から、JOKERという映画で語られた内容はすべてラストでアーカム・アサイラムを脱走したアーサーの”妄想”である。また、これはジョーカーやバットマンというアメコミの世界ではなく現代であり、現実であり、ジョーカーは現代社会の狂気である。

この俺の記事で「髪の色が黒くなってたことを疑問に思うようなアホ」と言ったのもこの記事だ。

2位はこちらの記事で、2019年の10月10日に書かれている。TOP3では最初に出た記事がこれだ。

内容は

映画ジョーカーは、全てがラストのアーサーの妄想かもしれないし、アーサーはバットマンと年齢が離れているので本当のジョーカーを覚醒させた人間かもしれない。いろんな説があると紹介し、ジョーカーの監督は「色んな説が出るようにしてある。しかし、正解はある。いつか公開する。」というコメントを紹介。

となっている。一番はやくて一番無難だが、どの説が正しそうだとか断言をしなかったので2位なのだろう。

3位は2019年11月30日に書かれたこちら

俺には1位と2位をパクってまぜて書いたとしか読めない。4位以下もそんな感じでコメントしたいものはない。

1位の記事への反論

・髪の色が黒く戻っている

画像1

俺の当時の考察でも書いたが、改めてわかりやすく説明すると、ジョーカーが髪を染めたのはペンキであり、髪を洗えば落ちるものだ。それは、劇中でジョーカーが使っている緑色の液体の容器を見ればわかる。

この液体は、ラベルのない、透明で中身の見える容器に詰められた緑色の液体だ。このような容器に入っているこれは髪染めではない。緑インクだ。ならば洗えば即座に落ちるはずであり、ラストシーンで黒く戻るのは当たり前だ。

・ジョーカーがウェイン夫妻の射殺事件について知っている

ウェインはゴッサムシティで一番の有名人であり、全く自分に関係ない地下鉄の射殺事件にコメントしただけでニュースになるような人間だ。そんなウェイン夫妻が子供の見ている前で射殺された、などという事件が大ニュースにならないわけがない。それをジョーカーが知っていることに違和感など無い。

・時計は「11:11」しか指していない

これは「偶然だ」としか説明できない。監督は「色んな説で受け取れるようにした」とコメントしているので引っ掛けであろうとは思う。

・地下鉄で銃を打つときの装弾数がおかしい(6発を超えている)

隣の車両に生き残りが逃げたとき、隣の車両まで足を引きずって逃げたあとで、アーサーが手元で何かしていて立ち上がるようなシーンがある。即座に後を追いかけたわけではない間がある。再装填しただけだろう。

・ハーレクインが出てこない

反論する必要すらない。

いや、そもそも反論してもしょうがないのだ。Google検索結果は別に反論がツリー表示されたりしない。たとえばツリー機能のあるTwitterでは、たまに元ツイートよりも何倍もバズる引用や画像引用ツイートがあるが。

この一位のジョーカーの考察も、「それ単体で見れば十分に面白い」。なるほど、そういう見方もあるんだなあと。そもそも「全部妄想説」は本来反論のしようがない。インクのこととかを論拠にしてくれてるから反論できてるだけで。

インクの件、髪型が緑色じゃないから妄想だなんていう「論理的に見れば否定できる誤った論」についての反論は目立てないのがインターネットだ、ということに虚しさを覚えるだけだ。

インターネットと情報について

基本的にインターネットは民主主義という多数決であり一方通行だ。ユーザーが最も共感した、PVを稼いだページが意見の主流を作る。ジョーカーの考察が「全部妄想説」で殆ど占められていて、それ以外の考察がほぼ上位にヒットしないというのも、Googleが、インターネットがそういう仕組みだからだ。

インターネットに公平な裁定者は居ない。多数決だから、より票を多く集めた記事が上位にきて、そのまま世論の礎となる。

過去にブログで「こうして衆愚政治は真に完成した。メディアに管理されていた民主主義でさえ、特定の一定以上のレベルの人間が集まる組織が管理するという担保があった。それすらもないインターネット以後の世界こそが真の衆愚政治だ。」と書いたことがあったかと思う。

PVを稼げる記事というのは、扇動した時に圧倒的大多数が動かせる「わかりやすい記事」に他ならない。

少数派の俺にできること

俺は俺のジョーカー記事が好きだ。俺のジョーカー記事を面白いという人が好きだ。

もし、ジョーカーの監督のような「それについて正統性を持つ人間」にジャッジしてもらえるなら、俺のジョーカー記事をその人が面白いと思うか、正しいのかどうかについて賭けをしてもいいと思う。

俺はわかりやすい記事を書くのが嫌いだ。自分にしか書けないものを書きたいと思うから。これはPVを諦めねばならない。

多様性召喚魔法陣と呼ばれた俺にも使えるバズテクニックは、「底辺やホストといったわかりやすい層をわかりやすく皮肉ったツイート」だった。

俺が本当にバズらせたかったのはジョーカーの考察やハンターの考察だ。

これはGoogle検索で「HUNTER 考察」といれると4位にくるからnoteというつよつよSEO内で上位にはこれた。

Twitterをやってたらたまにおっ結構俺のこと評価してくれるじゃんなアルファが、「このハンター記事は素晴らしい、超面白い」みたいな取り上げ方で紹介してくれたのだが、そこからバズることはなかった。

このハンター記事のいいね169はじわじわとついたものであり、感動したとか絶賛されることはあってもバズは一切なかった。

「厄介な制約」Google検索

俺は「厄介な制約」で検索したときに、きちんと考察した読む価値のある記事が一切ないことを悲観して記事を書いた

これははてなブログ時代にはそこそこ読まれたが、移植だったし結果としていいねもあまりついてない。

だが、Google検索で「厄介な制約」と入れると一位は俺のこの記事をパク・・・下地にしたこの記事だ。

パク・・・下地にしたと言及するだけだとアレなので一つツッコミを入れておくと、「爆弾人形を投げないのはなぜか(何故そういう作戦を立てなかったたのか)」とあるがそれについて反論しておこう。


まず最大爆発の威力は、ヒソカ級の超達人が全身を凝で覆っても右足が欠損するくらいの威力だ。それが何十も自動操縦で自爆しにヒソカに殺到するため、巻き込まれたら心中となりかねない。クロロは円形の闘技場でヒソカから離れた位置へ常に移動し続けていたと考えられる。この時、ヒソカが爆発に巻き込まれてダメージを受けたのを見て、手近な人間を二人とっさに投げただけだ。(1人は掴まれた時に怯えて、1人はゲロを吐いているので二人とも人間)

爆発する人形を投げてぶつけるというのは稚拙な作戦と言わざるを得ない。爆弾を用意してヒソカに投げても良いタイミングを伺っている間にヒソカが突進してきたら、自分が巻き込まれるからだ。「円形の闘技場で全体を見回すために中央にヒソカが移動したときに、最大威力をこめた自動爆弾を含む200体を突進させて、自分はそこから遠ざかって逃げよう」が事前に立てた作戦だろう。これは十分に即死コンボだ。


この記事のいい着眼点は「ヒソカはいつ裏切り(共闘)に気づいたのか」だ。

画像2

俺はここで共闘に気づいたのだと思っていた。ただ、この時気づいたにしては、衝撃が少なすぎる。

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この時に気づいた、のほうが適切かと思う。そこは俺より新しい。何故か?ここに気をつけてよむと

画像4

このセリフに気づく。これは「相手十分の条件だと勝つのは難しい」といってる。相手十分だと勝つのが難しいとは何か?ヒソカは自分が最強だと認知している。対等な条件で勝つのが難しい相手がいるとは思っていない。クロロが自分よりも優位であるという認識がないとこのセリフにはならない。そこは見落としていた。


俺は十分頑張ったと思う。多分「HUNTER 考察」でGoogle検索で上位にくる、「厄介な制約」のGoogle検索結果を変える、なんていうのは狙ってもなかなかできることではないんだと思う。狙ったことがあって、一応やりきったと自己評価する。

とりあえずやってみようというだけでやりはじめた。Twitterでアルファになることが目的だったわけではない。その結果分かったこととして、虚しさを覚えた。ただそれだけのこと。

フォロワーが凍結前の第一アカウントで1年かけて2600くらい?まで行っていたが、上記のような俺の認知からいって、俺のフォロワーはそんなにのびない。1年に2500人くらいだ。凍結せずもう1年続けたらフォロワー5000ってところで爆発することはない。

何故虚しいのか

それは目的と合致してないからだ。ハンターハンターの考察一位をとにかく目指したいのか?映画考察の一位を?別に興味はない。当初の目的は「俺が思いついた世の中に今無い情報を発信したらどうなるか見てみたい」だった。それはもうこの1年で十分やった。手応えもあってなぜ虚しいか?目的がないから俺は虚しいのだ。

インターネットで情報を発信することは目的があると熱中できるが、目的がなくなると虚しくなるようにできている。なぜなら、PV資本主義世界であり、PVを稼ぐ最適解は最大多数に理解できる、つまりは低知能にも理解できる方向性だからだ。目的があるうちはいいが目的がなくなるときつい。

余談として俺の人生について

そんな事を言ったらソシャゲをやってる時間も人生無駄だろうって?いや、ソシャゲは知能パズルとして暇つぶしにいい。何も残るものがなくとも、暇つぶしに知能パズルをポチポチするという目的に合致している。

嫁探しもアスナやコムギのような運命の相手に会いたいというだけで、俺は結婚したいというより、人生の目標になるような運命の相手を求めている。コレはなにかの心の病だろうか。多分本質的には結婚したくないのだ。結婚したくないわけじゃない、運命の相手さえいたらという言い訳をしているだけで。そのくせ大した努力もしてこなかった。年収2000万以上、資産6億以上で募集したらどうなるかなと嫁を募集しておきながら、そして何十人も応募がきたのに、全員にきっちり会いに行かず、気が向いたごく少数としか会わなかった。たしか似たようなことをした先人(cis氏とか)は、全員と会うか、最初に会った1人と結婚していたはずだ。

インターネット情報発信も、またなにか目的を見つければ虚しくなくなるんだろう。それが見つかるまではやりたいことをやろう。とりあえずシンエヴァがみたい。

最近またストレスが増えてきたなと思う。12月くらいに自分がイライラしていると気づいて(Twitterで自分からツイフェミのザコを殴りに行くとか)思い当たるものがなくて悩んだが、結局裁判のストレスではないかと仮定した。

それが悩みだと自分では認知していなかったが、最高裁がそろそろ結果が出るかもしれない、と俺は何度か友人に漏らしていた。考えないようにしていたが、やはり最高裁はストレスなのだろう。

最高裁が終わったとき、本当にやっとこの裁判が終わる。その時俺は変わるだろうか。その前に変わるだろうか。

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