ソシャゲ、ガチャ課金。これらは悪なのか?

はじめに

前提とするのは、おそらく一度は見かけたことが有るこんな意見だ

「ソシャゲはたかが絵であるキャラを引くために最悪何十万もかかる。コンシューマのゲームなら、5万出して本体周り揃えればあとはソフト1本5000円でいくつもの面白いゲームで何十時間も遊べる。だから課金ゲーであるソシャゲをやるのはコスパでいってアホだ」

これについて考える。

重課金者ってどんな人?

上のような理論のもととなったのは、「キャストリアに10万突っ込んでも出なかったから携帯投げたら画面割れた」とか、「FFBEに20万突っ込んだけどクソゲーだと思ったからやめた」みたいな人たちだ。

これを一言でいうと、「計画性・自制心」を持たない個体が大半を占める。

金持ちが重課金者なのではなく、「ハマった計画性や自制心のない個体」がギリギリまで課金している、というのが実態だと思う。

ソシャゲ(課金ゲー)は悪だという語り口が主なのは、こういった「被害者」の語りをベースにしているからだろう。

ソシャゲがなかったら重課金者は幸せになれるの?

俺はそう思わない。ソシャゲがなかったら、パチンコか、シャブか、酒か、ルアーフィッシングか。金があってもキャバクラか、高級時計か、まあなんでもいい。何かでどうせ身を滅ぼす。だって自制心がない個体なんだから

酒を例に出そう。酒を売っている酒造は、いかに美味しい酒を届けるか、という作り手もいれば、いかに安く求められている「酔える」飲み物を届けるかで、ストロングな酒を売る大手メーカーもいる。

プレミアのついた酒、たとえばワインやウィスキーは数十万なんて珍しくもない。それらはたしかに安い酒より快楽を得られるが、一般的にコスパは悪いとみなされるだろう。俺はかけがえのない体験はコスパではないとは思うが、一般的にね。

ソシャゲと酒の何が違うのか?酒には中毒性があり、身を滅ぼすような課金もできる。ストロングゼロは貧者の麻薬と言っても良いようなものだと思う。もちろん、俺はストロングゼロもあっていいと思う。俺は飲まないが、法律的に問題ない飲み物だ。

ゲームというビジネスについて

コンシューマのゲームは昔ほど売れなくなった。制作費もアホみたいになった。世界市場でやりあうにはさらに資本が要る。

そもそも、どんなにこだわって作っても「1万円未満の値段」しかビジネスとして成立しないことと、「一度売り出したらそれっきり手を加えられない」ことはゲームの枷だった。

一本分のゲームを作る以上の労力をかけつづけ、「運営」し、それを喜ぶファンからお金をもらえるソシャゲという課金システムは、「サブスクリプションシステム」のような新しく、そしてビジネスとして成立する仕組みだ。

FateというIPが盛り上がり、映画が作られたりしてるのも「FGO」が成功したおかげだ。FGOのUIは心底クソだと思うが、FGOが当たらないほうがよかったとか滅べとは俺は思わない。そのFGOの金でもっとすごい面白いゲームでも作ってくれとは思う。

まとめ

自制心があるゲーム好きの個体である俺にとっては、「運営され」「更新されていく」ソシャゲは、新しいゲームの一つの形として好きだ。ランスグランドオーダーがもし出たら、面白かったら、人生最高額の課金を突っ込むと思う。そうでなくても、UltimaOnlineとか、ブラウザ三国志とか、おおっと思える新しいゲームが出たら俺は課金するだろう。

ソシャゲで身を崩すような個体は、ソシャゲがなかったらソシャゲ以外の何かで身を崩すだけだと思うので、俺はそこは問題視していない。

金が儲かるというのは、詐欺や犯罪でなければ、資本主義社会において正しいことだ。ソシャゲは公開され値踏みされるものなので、「公開株式」のようなものだと思う。きちんと淘汰圧もあるし、面白いゲームも残っていくし生まれていく。金が集まるからだ。良いことだと思う。

ソシャゲによってゲーム業界には活気が戻ったということをもうちょっと考えるべきだと思う。ゲームは、ソシャゲが出る前は死に行くコンテンツだった。

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