インターネットについて②「承認欲求について」
インターネットにおける注意点といえば、承認欲求に飢えないようにという話がよく見られる。曰く、インターネット上の承認欲求とは、満たしても満たしても渇くものであり、身を滅ぼす、と。
その悪例として、Twitterのバズ狙いやInstagramでのインスタ映え狙いが挙げられる。果たして本当にいいねやインスタ映え狙いは全て悪なのだろうか?
まず、承認欲求自体について論じる。承認欲求とは、社会や世間から認められたい、こうなりたいという目的を伴った欲求だ。有名なものだと、海賊王になりたいだとか、ハンターになりたい等がある。
これ自体は人生でエンジンを回す燃料ともなる良いものだ。人生は目的に向かってエンジンを回して走っていくものでなくては味気ない。いつかビッグになりたいとか、金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか、具体性がなくとも承認欲求の一つくらいは掲げて然るべきだ。
欲求には問題がない。では何に問題があるのか。承認だ。承認には二つの種類がある。人生に意味のある承認と、人生に意味のない承認だ。
これらの見分けかたは、わかってしまえば簡単だ。
①将来のお金稼ぎにつながる承認である。
②自分の成長につながる承認である。
この2つのどちらかであれば、人生に意味のある承認だ。このどちらにも該当しないならば、人生に意味のない承認だ。
具体例を挙げよう。
自分が名を売ることが稼ぎにつながる人が狙うのであれば、インスタ映えもツイッターのバズも、きちんと目的に向かう承認となる。インスタ映えが全て渇く承認ではなく、意味のある承認と意味のない承認が混じっているところが、インスタ映えが難しい点であり、一般的に無意味だとされる理由だろう。
ツイッターに自分が描いた絵を、小説を上げ続け、”技術を磨き”いいねの数が増えていくことを目標に頑張ること。これはほとんどの場合、人生に意味のある承認となる。ただし、努力する目的意識や継続性がなく垂れ流すものは、全くの無駄に終わる可能性も高い。自分が成長してるか、成長してないかは、自分で判断するしかない。
別にネトゲで一番になるなんてことでも、それで自分に成長が感じられるなら、真剣に打ち込めば人生を切り開くことさえある。
これらにあたらないわかりやすい例としては、見るからに架空な妻子でひたすらバズを狙う自称フェミニストや、リベラルな物言いを偉そうに垂れる犬を検証すればわかりやすい。
彼らは何年もこれらのアカウントを維持して、常人ではけしてなし得ない量の承認を得た。では彼らは①お金が稼げたように見えるだろうか?②何か成長したように見えるだろうか?
結局、他人の承認なんてのは、その人が自分の人生への大きな影響力でも持っていない限り、本質的には無味無臭で栄養のないものだ。自分で人生に目的をもち、それに適った承認をあつめるという目標で人生をプレイした時にだけ、承認には意味がある。
なお、世の中には「暇つぶしに1万RTを狙ってしてみるがお金は求めないし、成長はおちょくり力を磨くこと」という変な人もいるので注意が必要だ。
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