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時代の変化の過程で生まれ消えていくゲーセンという「場」

 2020年1月初頭の時点では『小樽・札幌ゲーセン物語』展は骨子もできていない状態でした。数年前から小樽文学館でのテレビゲーム展の2回目をやりましょうという話は出てましたが、具体案に繋がらない状態が続いていたと。そこからゲーセンをテーマにした展覧会をやることになるきっかけは、同じく2020年1月に開催された文化庁メディア芸術祭小樽であったことは、先の投稿でも述べました。

 わたしは出席しなかったのですが、メディア芸術祭のオープニングイベントで来場者の方から「消えつつあるゲーセンを何らかの形で再生させたい」という意見があったことを文学館の館長さんから聞きました。後日、この意見を述べた方と会う機会があり、そこからゲーセン展の案が出てきたのでした。レトロゲームコーナーの札幌における中心地とも言えるディノスパーク札幌中央が2019年に閉店。このニュースを最初に知ったとき、ゲームに親しんできた者として残念な気持ちがありましたが、別な視点でこのことが意味していることに気付いていませんでした。それが年明けにメディア芸術祭を通して人と話す中で自分の中の気付きに繋がっていく。

 何に気付いたかというと、ゲーセンでゲームをするという遊びが、例えばそれ以前の昭和の遊びであるメンコや鬼ごっこ、あやとりといったものと同じ枠組みに入りかけているということ。ビデオゲーム自体は今も現役です。ゲーセンも全滅したわけではないですが、大半がプライズゲームがメインとなり様相が変わっている。しかも以前は北海道でもほとんどの市町村にゲーセンなり駄菓子屋なりがありましたが、現在は都市部でなければプライズメインのゲーセンであっても見かけない地域の方が多い。残念な想いは別にして客観的に判断すれば、公園が減ったであるとか、あるいは他に多くの遊びのコンテンツが増えたから鬼ごっこをする慣習がなくなったというのと同じ構造でゲーセンでゲームを遊ぶことが減少していることに気付いたのです。そして時代によって遊びの文化が変化したのなら、消えていく文化を所蔵し、閲覧する機会を設けるのは博物館の役割であることにも気付く。

 2012年にはじめて開催した『テレビゲームと文学展』は、地方の文学館でテレビゲームの展覧会を行なうという「組み合わせの妙」を企画する側も自覚して開催しました。ただ、ここにきて博物館でテレビゲームの展覧会を行なうことは真っ当な取り組みになってきた。実際、2012年から現在に至る間に「あそぶ!ゲーム展」などゲームをテーマにした多くの展覧会が開催されています。

 こうしたことから数年グダグダしたのが嘘のように、ゲーセンをテーマにした展覧会の骨子が思ったより早くまとまっていったのでした。

 わたしは自他ともに認めるゲーム好きですが、ゲーセンに関しては一人で思いのままに遊ぶことがほとんどだったので、当時のゲーセンにおけるコミュニティについては知識として知っていても実態はほとんど知りません。また1997年のGダライアスを最後に攻略のために定期的にゲーセンに通うこともなくなったので、その後の動向もやはり知識として知ってますが実情は分からない。そのため当時を知る人から話を聞く必要があり、何人かの方から協力をいただき、いろいろ詳細を教えてもらいました。そこで分かったことはゲームがプレイできる飲食店で当時のようなコミュニティがまだ残っていたり、アーケードアーカイブスなど当時のアーケードゲームの配信の中でハイスコア争いの文化もしっかり継承されていること。ゲーセンという場が消えつつあっても、リアル・ネット双方で場所を変えて当時の遊びの文化は残っている。

 しかし、そこで楽しんでいる皆さんは、やはり当時子供だった今の大人の方々で、今の子供がそこに関わることはひじょうに稀だということも分かりました。でもそれは自然なことでしょう。わたしたちが10代の頃、当時最先端の遊びのひとつであるアーケードゲームに我々はハマりましたが、そんな中、昔ながらの遊びに興じる大人は少数ながらいたかもしれない。昔遊びが好きな子供もいたかもしれないが、それもごく少数でしょう。それが中身がシフトして今に至っている。時代に合わせた文化の変遷として、自然な流れです。だから文化保存としてアーケードゲームも博物館の展示対象にという、この記事の前半にも繋がっていくのですが。

 もうひとつ、時代が変わりつつあるとはいえ、なぜ80~90年代のアーケードゲームはそれを遊んだ子供たちどうしの間に共感を育みながら強烈な思い出となっていったのか、というところにも興味が湧いています。わたし自身の経験から言えるのは、わたしの場合、物心ついた頃にはビデオゲームはまだ無く、小学生の後半に突然現れました。それまでモニターの中に映るものはあくまで受動的に享受するものだったのが、モニターの中に介入できるというのがあまりにも新しすぎて面白かったことを今でも強烈に覚えています。70年代後期のスペースインベーダーの時点でアーケードゲーム全盛状態が始まりますが、同時期にゲーム&ウォッチなどの液晶携帯ゲームやLSIゲームもあって、モニターの中に介入する機会は家の中でもあったんですよね。ただクオリティの高さや新しい概念のゲームの登場はやはりアーケードゲームが突出していた。だからわざわざ家から外に出てゲーセンに行く意義深さがあったのだと思います。

 望みのゲームさえできればいいものを、隣にある別のゲームにも関心を向けたり、他のゲーセンにも遠征したり、各種グッズを手に入れたり、サントラを聴いたり、攻略情報を血眼になって探したり、他のプレイヤーの様子をギャラリーとして見たり。それらは始まって間もない「新しい遊び」の最先端だった80~90年代のゲーセン特有の環境がそうさせたのではないか。当時はインターネットは存在せず、雑誌も月刊誌が普通という情報サイクル。他のコンテンツが少ないので、難易度が高くても反復してプレイすることにそう抵抗を感じなかった。その80~90年代特有の時代性が、子供たちどうしの間に共感を育みながら強烈な思い出を定着させることになったのではないか。

 SNSにより秒単位で隙間の時間が埋まっていき、別な選択肢としてのコンテンツが豊富にある現代では、ゲーセンでアーケードゲームを遊ぶことに「自然な形で」魅力を感じる人はどうしても少なくてなってしまうのかもしれない。自分が現代で10代だったら、やはり今の遊びに関心を持つ可能性は高い。当時を知る者としては寂しい話ですが、しかし時代と文化の継承というのが博物館の役割であるのなら、ここに着目することに意義はあるし、ここに着目することで現代であっても多くの世代が何らかの形で当時のアーケードゲームに触れる機会を増やすヒントを見つけやすくなるかもしれない。

 今の子供たちにも当時のアーケードゲームを遊んでもらいたいという気持ちがないと言えば嘘になりますが、それを強制するのは違うとも思います。だって自分が10代でアーケードゲームにハマっていたときに、当時の大人から「メンコも面白いよ、遊んでごらん」と言われたら「ウザッ」って思いますもんね。ただ「遊ぶ機会」があること自体はいいんじゃないかと思います。その機会を使って遊ぶか遊ばないかは自由。機会に触れることで遊び続けるか止めるかも自由。いずれにしても「触れて判断する機会」は大事かもしれない。『小樽・札幌ゲーセン物語』展がその機会の役割を果たすものになればと思います。もちろん当時の子供(わたし含む)が当時をただひたすらに懐かしむ場であってもいい。そんなことを考えながら、準備を進めています。

■ 地方の文学館でテレビゲーム展を開催する・バックナンバー
https://note.com/hilow_zero/m/m535d51202b05


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