7/31 素晴らしい副反応の時間

妙な腕のかゆみで気づいたけど、いつの間にかワクチン接種を受けた左腕が桃の赤い部分のようになっている。いわゆるモデルナアームだ。

桃

本当にこんな感じ。産毛が生えているところなんか、ほんとうに今の腕は桃に似ている。それはともかく、これでワクチンの副反応をコンプリートしたんじゃないか。一番よく聞く副反応、発熱は接種した当日の夜に起きた。

僕はそのときコンビニで買ってきたお酒を飲んでいたのだが、発熱してから「摂取当日はお酒を控えてください」と言われていたことを思い出し、窓を開けて缶を逆さにして中身を捨てた。そのときはまだ37.8分だったのだが、その後、熱はもう一日続き、接種から3日目に突如として治まった。

当然、副反応が出ているときは熱やら頭痛やらで苦しく、そのこと以外なにも考えられなかったのだが、副反応が治まって数分後、その時間がそれだけ貴重だったかわかった。さっきも言った通り、高熱で苦しいせいでそのこと以外なにも考えられなかった、からだ。

それはつまり、普段先送りにしたり忘れたふりをしたり時折思い出して重荷になるような、すべきことがたくさんあることから来る切迫感を完全に忘れることができるということになる。それらを全て放置し「何もできずに寝ている」状態であろうと罪悪感を覚えることもない、熱でそんなこと考えていられないのだ。

だから副反応が出ている時、自分はここ1年ほどで最も自由で開放的だったのだ。そう考えると、やっぱり「大切なものの価値は失ってはじめてわかる」ということは本当なのだなぁと思う。でも、そうすると今重荷に感じている切迫感も、もしかしたら失わない限り気づけない大切な価値あるものなのか?いや、たしかに実際そんな気もする。

副反応だって苦しんでいるときはその価値に気づけなかったが、もしリアルタイムで気づけたとすれば多少熱が出てようが楽になったかもしれない。そう思うと、切迫感にも価値を見出してちゃんと考えたほうが良いのか。
もしかしたら、その苦しさが微熱程度になるやもしれない。


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