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沿ドニエストル共和国観光


沿ドニエストル共和国

まずはバスターミナルへ。
行くかどうか直前まで迷っていたものの、沿ドニエストルの首都ティラスポリ行きのチケットを購入。
「国境」を越えると、雰囲気が一変。街中の看板がロシア語だけになり、ルーマニア語が完全に消えました。ロシア国旗もチラホラ。やはり、とんでもないところに来てしまったと確信。
ウクライナ国境にも近いため、道路の看板には「オデッサ」の文字が。
バスターミナルに到着。列車の発着はありませんが、駅がバスターミナルとなっており、中で帰りのチケットも買えるようになっていました。
街の様子。あまり人は多くなく、道路の状態も悪いです。ただ、ゴミはあまり落ちていませんでした。
街中の看板には親ロシアな広告はなく、求人広告が多かったです。親ロシア派とはいいつつも仕事の話になるといつもは大嫌いなはずの「西側」へ行きたがるのは沿ドニエストルも同じようで、この看板に出ている企業のロゴはフォルクスワーゲン、ポルシェ、H&M、ZARAでした。ちょっと怪しい。
戦勝公園。旧ソ連に行けば基本どの町にもありますが、ここのは今まで見た中で一番荒廃しています。
沿ドニエストル国立大学。ここで卒業して履歴書に「沿ドニエストル国立大学卒」と書いてみたい気もします。。。
議会の前にはレーニンの胸像が。
今度はロシア、チェコ、スロバキア、ポーランド、リトアニア、ラトビア行のバスの広告。
ソ連時代の軍用車両(たぶんУАЗ-452)を発見。深緑の塗装も良いですが、何よりも沿ドニエストルナンバーがたまりません。
「もう一度ソ連へ」というレストラン。ウクライナ料理やロシア料理、モルドバ料理がメインのようです。
水はウクライナのもの!ウクライナ排除というわけではないのですね。
ボルシチと「毛皮のコートを着たニシン」というサラダを注文。ボルシチは初めて食べましたが、とても美味しかったです。一方、サラダの方はニシンが臭すぎてあまり味わえませんでした。
レストランにはお土産が置いてありました。今ではもう流通していないプラスチックのコインを使ったハガキが売られています。ボンドでしっかり留められていますが、ハガキをゆっくり曲げるとペリペリとはがせます。
沿ドニエストルナンバーのプリウス。日本車が未承認国家のナンバープレートを一丁前に付けているのを見ると、不思議な感じがします。この地でも地対地ミサイルとして活躍しているのでしょうか(プリウスミサイル)。
沿ドニエストルの国章
戦死者の公園。第二次世界大戦ではなく、アフガニスタン戦争の犠牲者もここで祀られています。
バザール
ソ連時代のオンボロなトロリーバスが走っています。そのため、道路の上は電線が沢山。
ボロボロな歩道や建物が多いですが、ゴミが落ちていなかったり、ホームレスがいないといった印象をうけました。
Я приднестровец「俺は沿ドニエストル人」
この写真の左端に写っているのがSheriffというスーパーです。沿ドニエストル最大企業で、KGBなどと繋がりがあったようです。政治的発言力も強く、選挙に出る際はこの企業の支持を取り付けることが当選への大きなカギだそうです。「ヤクザのような企業」と表現する人もいます。店内にはモルドバの製品は見当たらず、ロシアやウクライナの製品ばかりでした。思ったよりウクライナの製品が多かったのですが、ウクライナとの国境は閉鎖されているはずなのでモルドバ本土を経由して来るのでしょうね。西側の製品はペプシやスプライトがありましたが、ウクライナ語でラベルが書いてあったのでウクライナのものを持ってきているのでしょう。
トロリーバス。こういった形のものが沢山走っています。
ロシアのズベルバンクの広告。
ティラスポリ駅にあった、バスの路線図と時刻表。
帰りはこれで帰ります。車内広告にはルーマニアなどでの「合法な職業」といったものがあり、わざわざ「合法」をアピールすることの闇深さを感じますね。
Sheriffで買ったウクライナのKvass。チェルノモルスクのものだそうです。
途中、バスから見えたバス停。モザイクアートが美しいですね。
沿ドニエストルルーブルです。未承認国家の通貨であり、モルドバ本土では両替できません。50ルーブル札の顔はウクライナ人の詩人タラス・シェフチェンコですね。沿ドニエストルはソ連時代にウクライナに属していたこともあるようで、その名残でしょうか。
夕食はキシナウで。ロールキャベツですが、中にひき肉と米が入っており美味しかったです。




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