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虚しさばかりの大学生活

高校を卒業して、音楽学部へ進学。
 
今になってやっとわかったのですが、
私は音楽が好きではなかった❗️
(◎_◎;)
 
 
音楽は、
イヤな事から逃げるための手段でしかなかった。
 
その頃は、スマホもパソコンもない…
 
ガラケーさえ無かった時代…
 
今思うと、よく生きてたなぁ…(笑)
 
もし、
今、高校生だったら、
このような選択はしなかった。

最下層に転落…

前置きが長くなりましたが…
 
大学に入学したのは、1980年代。
 
世の中は、バブルの真っ只中。

それまで、
お金に困ったことはなく、
それなりに裕福に育っていましたが、
大学生になってビックリ!
 
上には上がいることを思い知らされました。
!(◎_◎;)
 
親の職業は、会社経営者が多かったですが、中小企業といってもそれなりの規模。
 
会社が美術館を所有しているとか、
通学にタクシーを使うのはあたりまえ、
車で通学している子も何人もいました。

その頃、バブルの絶頂期。
不動産が異常に高騰。

地方のお金持ちの学生の中には、楽器の練習をするため、普通の賃貸には住めないとの理由で、親に高級分譲マンションや一軒家を買ってもらっている子もいました。

その中でも特にお金持ちなのが、
華僑や在日韓国朝鮮人の学生。

中でも、華僑の友人はすごかった。

 自分が生きてきた狭い世界とはまるで別世界。

華僑の友人の家には何度か招かれたことがあり、生活水準の違いに圧倒されました。

彼女は、大学卒業後すぐに政略結婚してその後付き合いはなくなりました。

それについて書くと長くなるので、別の機会に書きます。
 
とにかく、
このような現実を突きつけられた時、
今まで自分は裕福に育ってきたという自負心がぶっ飛び、いきなり最下層に転落。
(_ _).。o○
 
5月病って言葉が、
骨身に染みました。(T . T)

現実直視できず、虚しさばかり感じる日々

この頃、
まだ自分が音楽が嫌いだとの自覚がなく、
(それどころか音楽こそが生きる道だと勘違いしていた)ピアノに情熱を持っていると思い込んでいました。
 
大学に入学した時は、
それなりに成績は上位でした。
 
しかし、
音楽をゲーム感覚で捉えていたので、作品をじっくりと学ぶことはなかったです。
 
弾けるようになると次々と新しい作品を片っ端からゲーム感覚で弾いていました。
 
 しかし、
やればやるほど音楽に対して虚しさを感じるようになっていきました。
 
当たり前のことですが、
音は出た瞬間に消えてしまう…(T . T)
 
絵画だと、自分の描いた作品は目に見える形で残りますが、
 
音楽は一期一会。

どんなに素晴らしい演奏ができても、
 
再現性がない。
 
それに対して、
ビジネスでは、売れる商品は再現性が必要。

演奏には再現性がない…
 
この事に対して虚しさを体感していたのか、
音楽への情熱は日を追って失われていきました。
 
しかし、悲しいかな…
 
まだ精神的に未熟だったので、現実を受け入れられず、直視できなかった…😓
 
子供の頃から遊ぶのもガマンしてピアノをやってきたというプライドも邪魔して、
 自分が本当にやりたい事は何だろうと考えることさえ怖かったんだと思います。

ピアノを捨てたら、自分でなくなるという恐怖…
 
今みたいに多様な選択肢がなかった上、
スマホもパソコンも無い、もちろんネットで調べたりできない。

ホントによくこんな時代を生きてたなぁってつくづく思います…
 
この頃は今以上に行動するのが遅かったので、何かやりたいことを探そうとするのも避けて、行き詰まっていました。
 
親に高い学費を払ってもらっている以上、
 
自分の正直な気持ちを言えなかったというのもあります。
 
そんな状態の中で、アルバイトでピアノを教え始めました。

ピアノを教え始めたことで、私は再び音楽の世界に引き戻されました。

結果的に、
その経験は後の人生に少しは役に立つことになるのですが、プライドと思い込み捨てられず、スターシードとして目覚めるまでには、この後、かなりの遠回りをすることになります。





 




 
 



 
 


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