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弟の誕生

すぐ下の弟とは2歳違い。
弟が生まれる前のことはほとんど覚えていません。

ひとりっ子だった毒母は、兄弟への妄想が強く、たくさん産むことに執着していました。

毒母の口グセは、
【下手な鉄砲も数打ちゃ当たる】でした。

子供と鉄砲を同じにするな‼️

育児能力ゼロの人間が、安易な考えで次々子供産むな❗️

毒母は、
自分の命令を聞く“子分”が欲しかった”
のでしょう。

彼女の子供への接し方を見ていて、それがわかります。

育てることには興味ナシ。

今振り返ってみると…
毒母と私は、
親子というより“親分子分”みたいな関係でした。 

実際、私は彼女のパシリでした。

弟の誕生前の記憶も写真も無い

弟が生まれる前のことは覚えていません。

それ以前に両親と3人で遊んだり、外出した写真も撮られていませんでした。

それもそのはず。
毒母は私に関心がなかったからです。

そして弟の誕生によって私の過酷な人生が本格的に始まります。

弟の誕生で
本格的に過酷な人生がスタート

物心ついた最初の試練は、毒母が弟を出産した時。

この出来事によって、私の過酷な人生がスタートします。

ある日、朝起きたら毒母がいない‼️

夜中に陣痛が起きて病院に行ったからです。

幼い私には、そんなことわかりません。

今思うと、私は母が妊娠していることも、赤ちゃんが産まれることもよくわかっていませんでした。

そのくらい、彼女とコミュニケーションがなかったんだと思います。

ただし、好きではなかったけど、
“お母さん”だとは認識していました。

純粋だった私は、彼女がいなくて不安になったのを覚えています。

この時私は、2歳。
人生で初めて、全身が震え心臓がドキドキしました。

その夜は、眠れませんでした。
“お母さんはどこへ行ったの?”

翌日も、家中探し回りました。
しかし、毒母はどこにもいない。

祖母も何も教えてくれない。  

父は、会社が忙しく私が起きる前に出勤、夜は寝た後に帰宅していました。

数日後、弟を出産した毒母と病院で面会

毒母が出産で姿を消して数日後、
私はお手伝いさんと一緒に病院に行きます。
(この時、毒母の実母である私の祖母は、娘の出産に無関心だったので、病院にも行きませんでした。)

祖母も毒母もどっちもどっち😟

弟と対面した私は、
毒母から「お姉ちゃんになったのよ」と言われます。

2歳の私には…
「お姉ちゃん」とは何なのか?
そしてこの得体の知れない生き物(=弟)が何なのかもよく分からず混乱していました。

毒母は、お手伝いさんから持ってきてもらったものを受け取ると、「遅くなるとアーちゃん(私の祖母)が怒るからもう帰りなさい。」と言われました。

※祖母は、孫に“おばあちゃん”と呼ぶことを禁止していました。

来たばかりの私に「早く帰れ」と突き放す毒母。

2歳の私は、毒母に対して苦手意識を感じながらも何とか好きになろうと懸命に努力していました。

でも、そんな私の気持ちなんて毒母には通じるはずがない‼️

この時もあっさりと谷底へ突き落とされてしまいました。

。°(°´ᯅ`°)°。

そして、毒母退院後、
私は2歳にして”孤独”を体験することになります。












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