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藤田ことね

彼女

藤田ことねはアイドル科を擁する初星学園に通っている高校生だ。
家が貧乏らしくバイトを掛け持ちしている。
それゆえ「お金を稼ぐ」ことにこだわりがある。
また、自分の顔に自信があり、褒められるのが好き。
プロデューサーも初星学園に通っている。一方でプロデューサーは大学のプロデュース科に籍を置いている。

プロデュース

藤田ことねをプロデュースすることは、彼女を輝かせることに他ならない。可愛らしい容姿とそれを目立たせるスタイリング、卓越したダンススキルに絶えない笑顔、澱みないトークセンス、極め付けは天性の愛くるしい声色。そのどれをとっても根本は藤田ことね自身にある。ある意味で彼女は成長が終わったアイドルですらある。そしてそんな彼女につくプロデューサーのタスクはそこまで多くない。

  • 多忙の原因を除くこと

  • 自信をつけさせること

この二点である。
序盤で前者は解決されるし、後者もうまく行く。素敵なシナリオ。
しかし、プロデューサーはそこで止まるわけにはいかない。
彼女はかわいいアイドルだ。
一方で、アイドルとはかわいい存在である。
だからこそ彼女を「かわいいアイドル」で据え置くことは、彼女を普遍的なカドのないシルエットに押し込めてしまうことに他ならず、また同時に止まることないアイドル界の激流の中で泳ぐことをやめてしまうのに等しい。
藤田ことねを試験やライブだけで測れないアイドル界で生き抜かせるためには、彼女自身の問題解決で止まるわけにはいかない。
彼女に付加価値を追加し続けなければならない。

彼女のゲーム的な育成はターン終わりにスコアになる好印象の値を積んで毎ターンスコアを増やしていくのが肝になってくる。
アイドルとしても同じだ。
「かわいい」を積むこと。純粋に、真摯に藤田ことねのかわいさを世間に伝え続けること。
それが、飛び道具はなく、成長が目玉コンテンツになることのない藤田ことねの武器である。

一方で彼女の跳ねるテンポのトークスキルはギャップにもなろうが、学マスの世界は全員が割と上手いことを言える感じに調整されているので強いて言うならツッコミ役としての需要を満たすことができる有用性があると評価する。

愛(1)

かわいさは一級品の武器であり、諸刃の剣でもある。
なぜならば女性アイドルの「かわいさ」は容姿と態度がそろって初めて成立する総合的魅力である。
また、非常に明け透けで悪意のある言い方をすれば処女性に依存する。極端な話、彼氏がいる女に大声で「かわいい」と叫ぶのは難しいし、「かわいい推し」というカテゴリから落ちる。
藤田ことねが男女問わず人を人として魅了するファムファタールであれば彼女の魅力は「かわいさ」から「奔放さ」や「魔性の女」といったものに変わるはずだ。
それを「かわいさ」の枠ギリギリに留めているのは彼女自身の「稼げるアイドルになって成り上がる」という目標によって確立された「アイドル=仕事」の割り切りである。
かわいさという自認した魅力を活かして仕事をする。
一見アイドルとして当然の行為に見えるが、「憧れのアイドルに近づきたい」や「負けたくない!」といった動機と比べると非常に理論が通っている。
繰り返しになるが、「かわいさ」が明確に武器として本人に理解されている状況は本当に強いのだ。

アイドルとプロデューサー

Trueは、高校生と大学生という未成熟な側面を持ったアイドルとプロデューサーが真の意味でアイドルとプロデューサーになること、極端な言い方をすれば「決別」であるべきだ。
藤田ことねは自らよく口にしていた「プロデューサーって本当に私のことが好きなんだね」という言葉をアイドルとプロデューサーの間で交わされる魅力の話として飲み込むことが必要であるし、プロデューサーは隣で輝く少女が自分に向ける信頼と煌めきを信頼や親愛として咀嚼しなければならない。
だから、あれをデートと呼ぶのはTrueに辿り着いた瞬間であるからであって、今後あのようなことがあってはならない。
藤田ことねは真の意味でデートに誘うことは今後ないし、プロデューサーはそれをそうとは受け取ってはならない。
藤田ことねは俗っぽい言葉で愛を伝えるが、その奥にあるのは愛くるしさの誇示とアイドルという仕事のための打算でなければならない。
藤田ことねは褒められるためと、コミュニケーションのためにやや過剰な愛情表現が見られ、これはアイドルとしては最高であり、同時に私生活として非常に危うい性質である。プロデューサーはそれをわかっていて藤田ことねをいなすことができる稀有な人材である。
だから、二人は二人なりの最適なプロデュースでもっともっと高みをめざせる。世界一のアイドルになれる。

愛(2)

そうでなければ、彼女という明るい人間が、自分を過度に愛していることになってしまうから。そんなことはあってはならないし、自分はそのように考えてはならない。
これは、彼女の輝きが眩しすぎて見えた幻であるべきなのだ。
藤田ことねは打算とかわいさのアイドルである。これが世界にとって均一な正解であることを、今ここで確定させる。


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